☆ 徳川家康 ☆ 


とくがわいえやす
【1542(天文11)−1616(元和2):江戸幕府初代将軍】
【徳川家康】
 江戸幕府初代将軍[1603(慶長8)−1605(慶長10)]。三河岡崎城
主松平広忠の長男。幼名竹千代、のち元信、元康、家康と改めた。はじめ今川義元
、のち織田信長と結び東海に勢力を拡大、信長とともに甲斐武田氏を滅ぼす。豊臣
秀吉の天下統一後はこれに協力、関八州を与えられ、1590(天正18)年江戸
入府。関ヶ原の戦勝を経て1603(慶長8)年征夷大将軍となり、江戸に開幕。
将軍職を譲った後も大御所として実権を握り、大坂冬・夏の陣で豊臣氏を滅ぼし、
統一を完成した。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−
【東照公遺訓(東照宮遺訓)】
 徳川家康公の遺した訓示。
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◇ いさめてくれる部下は、
  一番槍をする勇士より値打ちがある。

◇ 凡(オヨ)そ人の上に立って下のいさめを聞かざる者の、
  国を失い、
  家を破らざるは、
  古今とも、
  これなし。

  家臣たちの忠言を聞かない者は領国を失い、家をほろぼす、ということです。

◇ 人生に大切なことは、
  五文字で言えば「上を見るな」。
  七文字の方は「身のほどを知れ」。

◇ 多勢は勢ひをたのみ、
  少数は一つの心に働く。

◇ 敵だというのも自制心を忘れた怒りである。
         「東照公遺訓(東照宮遺訓)」

◇ 人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し。
  急ぐべからず、
  不自由を常と思えば不足なし、
  こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
  堪忍は無事長久の基、
  いかりは敵とおもえ、
  勝つ事ばかり知りて、
  まくること知らざれば害その身にいたる。
  おのれを責めて人をせむるな、
  及ばざるは過ぎたるよりまされり。
        「東照公遺訓(東照宮遺訓)」
                   −慶長(ケイチョウ)8年1月15日−

  【堪忍】
   (1)人のあやまちを我慢して許すこと。勘弁。
   (2)不利な立場や困難な状況を堪え忍ぶこと。
   (3)経済力。また、生活費。
  【長久】
   ながくつづくこと。ながくひさしいこと。永久。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−

◇ 平氏を滅ぼすものは平氏なり、
  鎌倉を滅ぼすものは鎌倉なり。

◇ 真らしき嘘はつくとも、
  嘘らしき真を語るべからず。