☆ 西郷隆盛 ☆


さいごうたかもり
/通称:小吉・吉兵衛・吉之助/雅:南洲   

/諱:隆永・隆盛/変名:菊池源吾・大島三右衛門

【1827−1877:薩摩藩士・御小姓与・大総督府参謀・維新後陸軍大将】
 維新の三傑の一人。通称、吉之助。号は南洲。薩摩藩の下級藩士の出。島津斉彬
(なりあきら)の知遇を受け、国事に奔走。第二次長州征伐以後、倒幕運動の指導
者となり、薩長同盟に尽力。大総督府参謀として征東軍を指揮して東下、江戸城を
無血開城させた。維新後、参議。のち、征韓論の議を唱えたが入れられず下野、西
南戦争に敗れて城山で自刃。
→西南戦争
【西南戦争(せいなんせんそう)】
 1877年(明治10)、西郷隆盛を中心とする鹿児島士族の反乱。征韓論によ
り下野した西郷は帰郷して私学校を興したが、その生徒が西郷を擁して挙兵、熊本
鎮台を包囲したが、政府軍に鎮圧され、西郷らの指導者は多く自刃した。明治初年
の士族反乱のうち最大で最後のもの。以後の反政府運動の中心は自由民権運動に移
る。西南の役。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−
【南洲遺訓(なんしゅういくん)】
 南洲翁遺訓(なんしゅうおういくん)は西郷隆盛の遺訓集である。遺訓は41条
、追加の2条、その他の問答と補遺から成る。「西郷南洲翁遺訓」、「西郷南洲遺
訓」、「大西郷遺訓」などとも呼ばれる。
            −フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』−
【補遺(ほい)】
 もらし残した事柄をあとから補うこと。また、補ったもの。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−
【御小姓与(おこしょうぐみ)】
 西郷・大久保などが属する家柄です。城下士のなかの平士(ひらし)、つまり下
級城下士で、城下士ではもっとも家数・人数が多い階層で、約3000家あったといわ
れています。
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◇ 命も要らず名も要らず、
  官位も金も要らぬ人は始末に困るものなり。

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◇ 敬天愛人(ケイテンアイジン)
           「南洲遺訓」
  天をうやまい人を愛すること。つまり、常に修養を積んで天をおそれ敬い、人
  の気持ちを思いやる心境に到達することが必要だということ。西郷隆盛が学問
  の目的として述べた語。

◇ 事大小となく、
  正道を踏み至誠を推し、
  一事の詐謀を用うべからず。
          「南洲遺訓」

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◇ 児孫(ジソン)のために美田を買わず。

  【児孫(じそん)】
   子供と孫。子孫。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−

◇ 総じて、
  人は己に克つを以って成り、
  自らを愛するを以って敗る。
        「西郷南州遺訓」

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◇ 人を相手にせず天を相手にせよ。
  天を相手にして己を尽くし、
  人をとがめず、
  わが誠の足らざるを尋ぬべし。

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◇ 道を行い道を楽しむものは、
  必ず艱苦(カンク)に逢うものなれば、
  其の艱苦を凌がんとせば、
  矢張り道を行い道を楽しむものなり。
           「戸田務敏への教訓」

  【艱苦(かんく)】
   なやみくるしむこと。艱難辛苦(しんく)。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−

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