さいごうたかもり
/通称:小吉・吉兵衛・吉之助/雅:南洲 .
/諱:隆永・隆盛/変名:菊池源吾・大島三右衛門
【1827−1877:薩摩藩士・御小姓与・大総督府参謀・維新後陸軍大将】
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維新の三傑の一人。通称、吉之助。号は南洲。薩摩藩の下級藩士の出。島津斉彬
(なりあきら)の知遇を受け、国事に奔走。第二次長州征伐以後、倒幕運動の指導
者となり、薩長同盟に尽力。大総督府参謀として征東軍を指揮して東下、江戸城を
無血開城させた。維新後、参議。のち、征韓論の議を唱えたが入れられず下野、西
南戦争に敗れて城山で自刃。
→西南戦争
【西南戦争(せいなんせんそう)】
1877年(明治10)、西郷隆盛を中心とする鹿児島士族の反乱。征韓論によ
り下野した西郷は帰郷して私学校を興したが、その生徒が西郷を擁して挙兵、熊本
鎮台を包囲したが、政府軍に鎮圧され、西郷らの指導者は多く自刃した。明治初年
の士族反乱のうち最大で最後のもの。以後の反政府運動の中心は自由民権運動に移
る。西南の役。
−三省堂提供「大辞林第二版」−
【南洲遺訓(なんしゅういくん)】
南洲翁遺訓(なんしゅうおういくん)は西郷隆盛の遺訓集である。遺訓は41条
、追加の2条、その他の問答と補遺から成る。「西郷南洲翁遺訓」、「西郷南洲遺
訓」、「大西郷遺訓」などとも呼ばれる。
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【補遺(ほい)】
もらし残した事柄をあとから補うこと。また、補ったもの。
−三省堂提供「大辞林第二版」−
【御小姓与(おこしょうぐみ)】
西郷・大久保などが属する家柄です。城下士のなかの平士(ひらし)、つまり下
級城下士で、城下士ではもっとも家数・人数が多い階層で、約3000家あったといわ
れています。
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