みょうあんえいさいorようさい
【1141(保延7)ー1215(建保3):日本臨済宗の祖】
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鎌倉幕府の帰依を受けた最初の禅僧。号は明庵。葉上房、千光法師とよばれる。備中
(岡山県)吉備津神社の社司賀陽氏の出で、叡山で台密を学ぶが、山上の祖師たちの渡
海求法の後をついで、28歳で5か月&47歳より5年の2度入宋。天台山に巡礼し、
天童山で虚庵懐敞より臨済宗黄竜派の禅と戒を受けた第2次入宋は、西域よりインドに
赴いて親しく仏陀の遺跡を礼する計画であったが、金軍の南下で断念。帰朝後、京都で
教外別伝の禅を説く日本達磨宗の大日能忍と共に比叡山の弾圧をうけ、『興禅護国論』
を上進して仏法の総府、諸教の極意としての禅宗の立場を弁明する。幕府の帰依で、寿
福寺や建仁寺を創し、東大寺再建の大勧進となるなど、広く日本仏教の中興につとめる
。晩年、源実朝に献じた『喫茶養生記』は医薬としての茶の効用を説いたものである。
当時は最新の百科全書であった『太平御覧』によっていて、国際的教養人としての一面
をあらわす。ほかに、『教時義勘文』(1176)『菩提心論口訣』(1187)『出
家大綱』(1200)など、台密と戒律の著作がある。
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