☆ ラビンドラナート・タゴール ☆ 


Rabindranath Tagore
/ラヴィーンドラナート・タゴール(=タークル)

【1861−1941:インドの詩人・宗教哲学者】
 ベンガル州カルカッタの名門タゴール家に七人兄弟の末っ子として生まれる。幼
い頃より詩作を能くしたが、イギリス流の厳格な教育に馴染めず、三つの学校をド
ロップアウトする。1878年、17歳でイギリス、ユニバーシティ・カレッジ・
ロンドン(UCL)に留学。一年半を過ごすが卒業には失敗。しかし、西欧文化に
直接触れたことで、詩人として大きく成長したといわれる。1901年、シャーン
ティニケータンに野外学校(現在のヴィシュヴァ・バーラティ国立大学)を設立。
1909年、ベンガル語の詩集『ギーターンジャリ』を自ら英訳して刊行。これは
詩人のウィリアム・バトラー・イェイツに絶賛され、評判となった(イエーツはこ
の詩集の序文も贈っている。)。1913年、アジア人として初のノーベル文学賞
を受賞。翌1914年、イギリス政府からナイトに叙される。
 詩聖として非常な尊敬を集めている。インド国歌及びバングラデシュ国歌の作詞
・作曲者で、タゴール国際大学の設立者でもある。
 また、マハトマ・ガンディーらのインド独立運動を支持し、ロマン・ロランやア
ルバート・アインシュタインら世界の知識人との親交も深かった。ドイツのノーベ
ル賞物理学者ハイゼンベルクには、東洋哲学を教えている。
 早くから日本に対する関心も深く、岡倉天心・河口慧海・野口米次郎らとの親交
があったのみならず、5度にわたって訪日している。彼は日本人の自然を愛する美
意識を高く評価したが、第一次世界大戦下の対華21か条要求などに見せる帝国主
義・軍国主義的な行動を「西欧文明に毒された行動」と警鐘を鳴らし、満州事変以
後の日本の軍事行動を「日本の伝統美の感覚を自ら壊すもの」であると痛烈に批判
している。
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◇ 教師はみずからがなお学んでいないかぎり、
  けっしてほんとうに教えることはできない。
  ランプはみずからの焔(ほのお)を燃やしつづけないかぎり、
  他を照らすことはできない。

◇ すべての嬰児(エイジ)は、
  神がなお人間に絶望していない
  というメッセージをたずさえて生まれてきている。

  【嬰児(えいじ)】
   (1)生まれて間もない子供。あかんぼう。ちのみご。あかご。乳児。
   (2)生後三年ぐらいまでの子供。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−

◇ 人間が自分の人生から学び取ることのできる最も重要な教訓は、
  この世には苦しみがあるということではなく、
  苦しみを活用するかどうかはわれわれ次第であり、
  苦しみは喜びに変わるということである。

◇ 人間は孤立すると、
  自己を見失う。
  すなわち人間は、
  広い人間関係のなかに、
  自らのより大きく、
  より真実な自己を見出すのである。

◇ 間違いを犯すのを怖れて、
  戸を閉ざせば、
  真実も締め出されてしまう。

◇ 物を与えることだけを慈善と心得ているのは、
  手に汗することを知らない人々だけである。