Максим Максимович Горький(Maxim Gorky)
/本名アレクセイ・マクシモビッチ・ペシコフ
【1868ー1936:ロシアの小説家・劇作家】
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ニジニー=ノヴゴロド(のちにゴーリキー市に改称)の指物師の家に生まれ、幼いと
きに両親を失ったため、小学校を中途で止めて働きに出ました。靴屋に奉公し、製図師
の徒弟、汽船のコック見習い、パン職人などになり、働きながら独学を続けました。コ
ーカサスの都市チフリスの鉄道工場で働いている時に最初の小説「マカール・チュード
ラ」を書き、それから、創作活動を続けました。革命に参加したため投獄され、イタリ
アのカプリ島に亡命したこともありましたが、トルストイ、チェホフに続く作家として
大衆の苦悩と革命への確信を描き、ロシア文学の発展に大きな足跡を残しました。彼の
創作活動を高く評価した帝政ロシア学士院は、1902年、彼を名誉会員に推薦します
が、ニコライ二世がこれを拒否。それに憤慨したチェーホフとコロレンコが自ら名誉会
員を辞退しています。続く「どん底」(1902)、「太陽の子」(1905)、長編
「母」に至るなかでプロレタリア文学を確立し、レーニンにも絶賛されています。ロシ
ア第一革命(1905)ののち国外に亡命していましたが、三月革命(1917)で帰
国。肺結核の悪化のためイタリアに移り、帰国後、「ソヴィエト作家同盟」を結成し初
代議長に選ばれますが(1934)、まもなくモスクワにて死亡しました。
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