☆ 故事&ことわざ ☆ 


【 「か」の蔵 】
◎「飼い犬に手を噛まれる」
  普段面倒をみたり、かわいがっていた人から、思いがけずに裏切られたり、害
  を受けたりすること。
◎「貝殻で海を量る」
  小さな貝殻で海の水を汲んで、海水の量を量るということ。つまり、自分の狭
  い見聞をもとにして、大きな問題を論じること。
◎「解語(カイゴ)の花」  −開元天宝遺事(カイゲンテンポウイジ)
  唐の玄宗楊貴妃と太液の池に咲く蓮の花を鑑賞していたとき、玄宗が家
  来に、「蓮の花より解語の花の方が美しい」と言ったという。つまり、「物い
  う花」「言葉をしゃべれる花」。美人のこと。
  【解語(かいご)】
   言葉の意味を理解すること。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−
◎「快刀乱麻を断つ」
  よく切れる刀で、乱れ、そして、もつれた麻を断ち切るということ。つまり、
  もつれていた物事をあざやかに解決すること。
  【快刀(かいとう)】
   よく切れる刀。
  【乱麻(らんま)】
   〔乱れもつれた麻の意〕物事が複雑にからみ合っていること。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−
◎「回禄(カイロク)の災い」
  火災、火事のこと。
  【回禄(かいろく)】
   (1)火の神の名。[塵袋]
   (2)火災。火事。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−
  【回録(かいろく)】−補足−
   獣身にして人面。火災をもたらす荒ぶる神。祝融という兄をもつ。
                               −中国神話−
◎「替着なしの晴着なし」
  いつでもいい服を着ているが、それだけしか持っていないこと。
◎「蛙の子は蛙」
  蛙はオタマジャクシのような時期もあるが、結局は親と同じ蛙になるというこ
  と。つまり、子の才能や性質は親に似るもので、凡人の子はやはり凡人である
  ということ。また、子は親と同じ道を歩むものが多いということ。
◎「蛙の面に水」  −京都いろはがるた
  蛙の顔に水を掛けてもまったく平気でいるということ。つまり、馬鹿にされた
  り、悪く言われても何とも感じないで平気でいること。ずうずうしいこと。
◎「香り松茸、
  味湿地(シメジ)」
  茸の中では、松茸がいちばん香りがよく、味は湿地(シメジ)がいちばん良い
  ということ。
◎「餓鬼の目に水見えず」
  あまりあせって求めると、かえって求めるものが見付からないという意味。
  餓鬼はいつものどが渇いているので、
  かえってそばに水があっても気付かないことから。
  【餓鬼(がき)】
   (1)〔仏〕
     (ア)生前の悪業の報いで、餓鬼道に落ちた亡者(もうじや)。体はや
        せ細り、のどは針のように細く、また、手にとった食物が火に変
        わってしまうため常に飢えに苦しんでいるとされる。
     (イ)「餓鬼道」の略。
   (2)食物に飢えている者。また、貪欲な者。
   (3)〔食物をむさぼることから〕
     (ア)子供を、卑しめて言う語。
     (イ)俗に、子供の意。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−


◎「学問なき経験は経験なき学問に優る」  −イギリスのことわざ−
  机上(キジョウ)の空論よりも実際の経験のほうが貴重である、ということ。
  【机上の空論】
   頭の中で考えただけで、実際には役に立たない理論・計画。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−
◎「楽屋で声を嗄(カ)らす」
  いくらほねをおっても人に認められないこと。
  【嗄らす(からす)】
   〔「涸(か)らす」と同源〕声を使いすぎたり、のどを痛めたりして、かす
   れ声にする。しゃがれ声にする。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−
◎「陰裏の豆もはじけ時」  −尾張いろはがるた−
  日陰に植えた豆も時期がくれば成熟することから、どんな娘でも年頃になると
  色気づくことのたとえ。「豆」は女陰を表す。
  【陰裏】
   日のあたらない所。日陰。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−
◎「かけた恩は水に流せ、
  受けた恩は石に刻め。」
◎「籠で水汲む」
  籠で水を汲んでも、すきまから流れ出て、ちっとも溜められないということ。
  つまり、骨を折っても効果のないこと。
◎「駕籠に乗る人担ぐ人
  そのまた草鞋を作る人」
  世間には駕籠に乗る身分の人、その駕籠を担ぐ仕事をする人、さらにその人の
  はく草鞋を作る人もいるということ。つまり、世の中には職業が色々とあり、
  お互いが助け合って社会が成り立っているということ。
◎「過去を忘れず、されど怨まず」  ーヴェトナムの格言ー
◎「火事あとの釘拾い」
  大事な家を火事で焼いた後で釘を拾って歩いてもどうにもならない。つまり、
  大損をした後でちまちまと倹約しても、何の足しにもならないということ。
◎「歌人(カジン)は居ながらにして名所を知る」
  歌人は実際にその場に行かなくても、古歌や歌枕を調べて天下の名所の様子を
  知っているということ。
  【歌人(かじん)】
   和歌を詠むことを専門とする人。また、歌を詠む人。歌よみ。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−
◎「霞(かすみ)に千鳥」
  実際には有り得ないことやふさわしくないことのたとえ。
  霞は春のもの、千鳥は冬のものなので、両者の組合わせは有り得ず、ふさわし
  くないということから。
◎「風が吹けば桶屋が儲かる」
  風が吹くと土ぼこりがたち、それが目に入ることで盲人が増える。盲人は三味
  線で生計を立てようとするので三味線の需要が増える。三味線には猫の皮が張
  られることで猫が減る。猫が減ると鼠が増えて、鼠にかじられる桶が増えると
  、桶を売る桶屋が儲かるということ。つまり、何か事が起きると巡り巡って思
  いがけない意外なところにも影響が出るということ。また、当てにならない期
  待をすること。
◎「稼ぐに追い付く貧乏なし」
  いつも精を出して働いていれば、貧乏することはないということ。
◎「堅い木は折れる」
  堅い木は折れやすいものである。
  日頃丈夫な人が急に病に倒れたり、強気でバリバリ仕事をこなしている人が、
  ほんのちょっとしたことで挫折すると気力を失い弱みを露呈してしまうことが
  ある。
◎「難(カタ)きを先にし獲(ウ)るを後にす」  −孔子
  自ら進んで難しい仕事を引き受け、それによる利益のことは問題にしないこと
  。
◎「渇(カッ)しても盗泉の水を飲まず」  −「猛虎行」陸機−
  孔子が旅行の途中でのどが渇いたが、そこの泉の名が「盗泉」というので、た
  とえ名前だけでも、身が汚れるとしてその水を飲まなかったという故事から、
  どんなに苦しくても悪いことはしないたとえ。
  【盗泉】
   中国山東省泗水(しすい)県の東北にある泉。孔子はその泉の名が悪いとし
   て飲まなかったという。
  【陸機(りくき)】
   (261−303)中国、晋(しん)の詩人。呉の人。字(あざな)は七衡
   。文学論「文賦(ぶんのふ)」で唯美主義を唱え、対句などの修辞に優れた
   詩を残す。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−

泗水の卞橋 泗水の泉林
[泗水の卞橋] [泗水の泉林]
− 盗泉があったとされる山東省泗水(シスイ) −

◎「かったいの瘡(カサ)恨み」  −江戸いろはがるた
  癩(ライ)病患者が梅毒患者をうらやむこと。つまり、自分よりわずかでもよ
  い境遇の者をうらやむこと。
  【癩/〈乞丐〉(かったい)】〔「かたい」の促音添加〕
   (1)癩(らい)病。
   (2)こじき。
  【瘡(かさ)】
   (1)できもの・はれものなどの皮膚病。また、かさぶた。
   (2)梅毒(ばいどく)の俗称。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−
◎「勝って兜の緒をしめよ」
  物事が思いどおりに進んでも油断せず、心をひきしめよといういましめ。
◎「河童が皿の水をこぼしたよう」
  河童は頭の皿の水をこぼしてしまうと、力が弱くなり、神通力を失うと信じら
  れた。つまり、頼りにするものを失って、途方にくれること。
◎「河童の川流れ」
  水中にすむ河童も、時には水に押し流されるということ。つまり、どんな達人
  でも失敗することがあるということ。
◎「刮目(カツモク)して見る」
           −北斉書(ホクセイショ)・楊イン伝(ヨウインデン)−
  目をこすって注意して見ること。つまり、相手の進歩や変化を見直すこと。

  【刮目(かつもく)】
   〔「刮」はこする意〕目をこすってよく見ること。注意して見ること。刮眼
   。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−
◎「門松は冥土の旅の一里塚
  めでたくもありめでたくもなし」  −一休
  正月を祝う門松はめでたいものだが、人は正月がくるたびに一つ年をとり、そ
  れだけ死へ近づくことになるので、「めでたくもありめでたくもなし」という
  こと。
  【一里塚(いちりづか)】
   (1)街道で一里ごとに道の両側に土を盛り、エノキなどを植えて、距離を
      示す目印とした塚。江戸幕府により全国に設置。里程標(りていひよ
      う)。
   (2)大きな事業を達成してゆく過程における一つの段階。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−
◎「金づちしか持ってなけりゃ、
  何もかも釘に見えるだろうよ。」
  【英】When your only tool is a hammer,
     all problem look like nails.
◎「金槌(カナヅチ)の川流れ」
  金槌を川に落とすと、柄は浮くが頭は重くて沈むということから、泳げない者
  が川に入ると浮かび上がらないということ。つまり、頭が上がらないこと。ま
  た、一生出世する見込みがないこと。
◎「蟹の横這い」
  蟹が横に歩くのは一番楽な移動方法だからです。つまり、他人からは奇妙に見
  えても本人には一番適したやり方のこと。また、物事が本筋から微妙にずれて
  いくこと。
◎「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」
  蟹は自分の甲羅の大きさにあった穴を掘る。つまり、人の行動や考え方は、そ
  れぞれ自分の能力に応じたものだということ。また、分相応の願いをもつもの
  だということ。
◎「金さえあれば飛ぶ鳥も落ちる」
  金があれば飛んでいる鳥もやすやすと落とす事が出来るということ。つまり、
  金があれば何でも出来るということ。金の力が絶大であるということ。
◎「金に厭目(糸目)をつけぬ」
  凧に糸目がないと、どこかに飛んでいってしまうことから、惜しげもなくお金
  を使うこと。


◎「金の価値を知りたければ金を借りてみよ」
  【英】If you want to learn the value of money,
     try to borrow some.
  普段はお金の重要さ、ありがたさを感じていないが、借りる時になって初めて
  、その価値がわかるということ。
◎「金の切れ目が縁の切れ目」
  客と商人に限らず、金を持っている間はその人をちやほやするが、金がなくな
  り得にならないと思われると冷淡になって去っていくのが世の常である。
◎「金(カネ)の草鞋(ワラジ)で尋ねる」
  いくら歩いてもすり切れることのない鉄製の草鞋をはいて探し求めること。つ
  まり、根気よく尋ね回ること。
  【〈草鞋〉(わらじ)】
   〔「わらぐつ」から「わらうづ」「わらんづ」「わらんぢ」と転じてできた
   語〕藁で編んだ、ぞうりに似た履物。爪先(つまさき)の長い緒を縁の乳(
   ち)に通してはく。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−

草鞋
− 草鞋 −

◎「金は片行き」
  お金というものは、あるところにはたくさんあるものだが、無いところには全
  然無いものだ。
◎「金は天下の回り物」
  富者がお金を失い、貧者に回ってくることもあるから、現在、お金が無いから
  といってくよくよするな、ということ。
◎「金は良き召し使いなれど悪しき主なり」
  金は手段としてうまく運用しているうちはよいが、金そのものが目的になって
  、金に使われるようになると害が生じる。
  【英】Money is a good servant, but a bad master.
◎「金請けするとも人請けするな」
  人間の保証人となると煩わしいことが多いから、借金の保証人となるのはまだ
  いいが、身元引き受けの保証人にはなるな、ということ。
◎「金持ち金を使わず」
  いくらでも使える金をもちながら、金持ちはむだな金は使わない。また、金持
  ちほど、けちだということ。
◎「金持ち喧嘩せず」
  金持ちは損得に敏感で、喧嘩をすれば損をするので、他人と争うことはしない
  ということ。また、有利な立場にある者は、細かいことにこだわらず、ゆった
  り構えているということ。
◎「金を貸せば友を失う」
  【原文】Lend your money and lose your friend.
  友人間でお金の貸し借りをすると、それがもとで交際がこわれることが多いか
  ら、友人どうしでは金の貸し借りはしないほうがよい。
  「金を貸したのが縁の切れ目」とも言う。
◎「壁に耳あり 
  障子に目あり」  −源平盛衰記(ゲンペイジョウスイキ)
  誰がどこで聞いているか、どこで誰が見ているかわからないということ。つま
  り、秘密の相談や隠し事は漏れやすいといううこと。
◎「果報(カホウ)は寝て待て」  −尾張いろはがるた
  幸運の訪れは運によるのだから、あせらないで自然に時機が来るのを待てとい
  うこと。
  【果報(かほう)】
   (1)運のよいこと。また、幸せなさま。
   (2)〔仏〕前世のおこないによって生じる報い。⇔業(ごう)
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−
◎「神様にも祝詞(ノリト)」
  神様がどんなにひとのこころをわかってくれようとも、言葉にして表さなけれ
  ば願いは通じない。
  つまり、相手に自分のことを理解してほしければ口に出さなければならない。
  【《祝詞》(のりと)】
   神事に際し、神前で読み上げて神に申し請う内容・形式の文章。現存する最
   も古いものは「延喜式」に収められた「祈年祭(としごいのまつり)」以下
   の二七編。今日でも神事に奏される。文末を「…と宣(の)る」で結ぶ宣命
   形式のものと「…と申す」で結ぶ奏上形式のものとがあるが、対句や繰り返
   しを多く用いた荘重な文体である。のりとごと。のと。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−
◎「神に祈れ、
  だが岸に向かって漕ぐ手は休めるな。」  −ロシアのことわざ−
◎「神の名は無意味。
  世界にとって本当の神は愛なのだ。」  −アパッチ族−
◎「亀の甲より年の功」
  年長者の経験や知恵は尊ぶべきであるということ。
◎「鴨(カモ)が葱(ネギ)を背負(ショ)って来る」
  鴨が葱を背負ってくれば鴨鍋の材料がそろって便利ということ。つまり、願っ
  てもないこと。また、大変好都合であること。
◎「鴨(カモ)が葱(ネギ)を背負(ショ)って来る」
  鴨がねぎを背負ってくれば鴨鍋の材料がそろって便利ということ。つまり、利
  用されるものがさらにこちらの利益になるものをもってくるということ。好都
  合であること。願ってもないこと。また、鴨と葱はとても相性がよい組み合わ
  せという意味もあります。
◎「烏(カラス)の行水(ギョウズイ)」
  烏の水浴びがごく簡単にすまされること。つまり、体をよく洗いもしないで、
  すぐに風呂から出ること。
◎「空世辞(カラセジ)は馬鹿を嬉しがらせる」
  【英】Fair words make fools fain.
  愚か者は口先だけのお世辞を言われただけで喜ぶとうこと。
  【空世辞(からせじ)】
   口先だけの世辞。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−
◎「枯れ木に花」
  枯れた木に花が咲くということ。つまり、衰え果てていたものが、再び栄える
  時を迎えること。また、望んでも不可能なこと。つまり、不可能と思われるこ
  とが不思議な力によって実現すること。あるいは、実際とは違った嘘や作り話
  して、もっともらしく他人を騙すこと。
◎「枯れ木も山のにぎわい」
  小さな積み重ねが大きな成果を産む、ということ・・・
  では、ありません。<(_ _)>
  たとえ枯れている木であっても何もないよりはまだ山がにぎやかに見えて良い
  ということから、たとえつまらないものでも全くないよりはましだということ
  。
◎「彼は人なり、
  我らも人なり、
  我何ぞ彼を畏(オソ)れんや。」
  【原】「彼人也、予人也、彼能是、而我乃不能是」
                    −韓愈(カンユ)・原毀(ゲンキ)−
  彼も私も人間である。同じ人間なら、なのにどうしておそれる必要があるでし
  ょうということ。つまり、他の人にできることが自分にできないことはないと
  いうこと。
  【賢/畏(かしこ)】
   (形容詞「かしこし」の語幹)
   [一]〔おそれ慎む意〕女性が手紙の末尾に書いて敬意を表す語。あらかし
      こ。あらあらかしこ。かしく。〔中古には仮名文の消息で男女共に用
      いた。近世頃から女性のみが用いる〕
   [二]・・・
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−
◎「可愛い子には旅をさせよ」
  子供を愛するなら苦労の多い旅をさせて、世間の苦しみやつらさを体験させた
  ほうが、その子の将来のためになる。
  昔の旅は今と違って交通が不便で苦難の連続であったからです。
◎「可愛さ余って憎さが百倍」
  可愛いと思う心が強いだけに、いったん憎いと思いはじめると、その憎しみは
  非常に強くなるものだということ。
◎「皮切りの一灸(ヒトヒ)」
  最初にすえる灸は特に熱いことから、どんなことでも初めは苦しいものである
  ということ。
  【皮切り(かわきり)】〔(2)が原義〕
   (1)物事の一番初め。手始め。
   (2)最初にすえる灸(きゆう)。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−
◎「川立(カワダ)ちは川で果てる」
  川に育ち川に慣れた者は、とかく油断のために川で死ぬことが多いということ
  。つまり、得意な技のために油断し、かえって身を滅ぼすものだということ。
  【川立ち(かわだち)】
   (1)川辺に生まれ育った人。
   (2)水泳の名人。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−
◎「雁(ガン)が飛べば石亀も地団駄(ジタンダ)」
  雁が飛び立つのを見て、石亀が自分も飛び上がろうとしてそれが出来ず、悔し
  がって地団駄を踏むということ。つまり、自分の能力を考えないで他人のまね
  をしたがるということ。身のほど知らずのこと。
  【地団駄/地団太(じたんだ)】
   〔「地踏鞴(じたたら)」の転〕怒ったり悔しがったりして、激しく足を踏
   み鳴らすこと。
  【地〈踏鞴〉(じたんだ)】
   「たたら(踏鞴)」に同じ。
  【〈踏鞴〉(たたら)】
   (1)足で踏んで風を送る、大きなふいご。鋳物に用いる。
   (2)「たたらぶき」に同じ。
  【〈踏鞴〉吹(き)(たたらぶき)】
   炉に砂鉄と木炭を入れ、たたらで送風して行う鉄の製錬法。古代から行われ
   、現在も日本刀に用いられる
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−
◎「眼光(ガンコウ)紙背(シハイ)に徹す」
  書の裏側まで見通すこと。つまり、書を読んで、文面の奥にある深い意味まで
  見抜くこと。
  【眼光(がんこう)】
   (1)目の光。
   (2)物事を見通す力。見抜く力。
  【紙背(しはい)】
   (1)紙の裏側。
   (2)文字には表されていない、文の裏の意味。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−
◎「閑古鳥が鳴く」
  閑古鳥が鳴く静かな自然の風景から、人影がなく寂しいこと。商売がはやらな
  いこと。
  【かんこ鳥】カッコウの別名。
        〔「閑古鳥」とも書く〕
                    −三省堂提供「デイリー新語辞典」−
◎「勘定合って銭足らず」
  計算は合っているが、現金が不足するということより、理論と実際とが合わな
  いこと。
  【勘定(かんじょう)】(名)スル
   (1)物の数や金銭などを数えること。
   (2)代金を払うこと。また、その代金。
   (3)見積もり。予測。
   (4)物事の利害を計算すること。
   (5)いろいろと考え合わせたあげくの結論。
   (6)簿記で、資産・負債・資本などについてその増減を記すために細分さ
      れた単位。現金勘定・資本金勘定など。
   (7)考え定めること。かんてい。
   〔(7)が原義〕
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−
◎「間然(カンゼン)するところなし」
  【原文】「敵を制するに間然する所無き、難攻不落の堅城」 −忠温・肉弾−
  非の打ちどころがない。
  【間然】
   〔「間」はすきま〕非難や批判されるような欠点のあること。
  【肉弾】
   〔桜井忠温(ただよし)の戦記文学の題名からできた語〕肉体を弾丸として
   、敵陣に突入すること。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−
◎「邯鄲(カンタン)の夢」
             −沈既済(シンキセイ)枕中記(チンチュウキ)
  出世を望んで中国の趙(チョウ)の都・邯鄲に来た青年盧生(ロセイ)は、栄
  華が思いのままになるという枕を道士から借りて仮寝をし、栄枯盛衰(エイコ
  セイスイ)の50年の人生を夢に見たが、覚めれば注文した黄粱(コウリョウ
  )の粥(カユ)がまだ炊き上がらぬ束の間の事であったという。つまり、栄枯
  盛衰のはかないこと。
  【邯鄲(かんたん)】
   (1)中国、河北省南部の都市。綿花・落花生の集散地。古来、山東・山西
      を結ぶ交通の要衝に当たり交易が盛ん。戦国時代には趙(ちよう)の
      国都。ハンタン。
   (2)・・・
   (3)・・・
  【黄粱(こうりょう)】
   植物オオアワの漢名。
  【道士(どうし)】
   (1)道義を体得した人。道義心の強い人。
   (2)仏教の修行者。仏門にある人。沙門。
   (3)道教の修行につとめ、その祭儀を執り行う専門家。道家。
   (4)神仙の術を行う人。仙人。方士。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−
  【栄枯盛衰(えいこせいすい)】
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◎「艱難(カンナン)汝を玉にす」
  人は多くの苦労を乗り越えて立派になっていくということ。西洋の諺「逆境は
  人を賢くする」の意訳という。
  【艱難(かんなん)】
   災難や困難。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−
◎「看板に偽りなし」
  看板に書いてあることと、実情が同じであるということ。つまり、外見と実質
  が一致していること。