☆ 荘子 ☆


そうじ
 中国、戦国時代の思想書。一〇巻三三編。荘子とその学統に連なる後人の著作。
寓話を数多く引用し、変幻自在な筆法で、人知の限界を語り、一切をあるがままに
受け入れるところに真の自由が成立すると説く。のちの中国禅の形成に大きな役割
を果たした。南華真経。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−
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◎「井戸の中の蛙大海を知らず」
  【原】「井蛙不可以語於海者、拘於虚也」
                                 −秋水−
  井蛙(セイア)は以って海を語るべからず、虚(キョ)に拘(ナズ)めばなり
  井戸の中の蛙に海のことを話しても分からないのは、狭い場所にこだわってい
  るからであるということ。
  狭い世界に閉じこもって、広い世界のあることを知らないということ。つまり
  、狭い知識にとらわれて大局的な判断のできないということ。
  「されど天の高きを知る」など、後ろに後世の方が勝手に付け加えて、如何に
  も最初からそんな故事があるように表現されているようです。
  【井蛙(せいあ)】
   井戸の中にすむカエル。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−
  cf.荘子の『秋水編』にある、以下のような寓話が由来です。
    黄河の神『河伯』は、ある時 好奇心にかられて黄河を抜け出します。そ
    して、それまで一番だと思っていた黄河よりももっと雄大な海を見て、自
    分の無知を自覚しました。
    河伯に渤海の神『若』が言いました。
    「井戸の中に住む蛙は、海を語ることができない(井蛙は以って海を語る
     べからず)。それは彼らがその狭い住処にとらわれているからだ。夏の
     虫には氷の事を話しても分からない。それは彼らが夏の季節しかないと
     信じこんでいるからだ。見識の狭い者に道を語っても分からない。それ
     は彼らが常識の教えに縛られているからだ」と。
    『若』続けて言いました。
    「今、あなたは黄河から出て大海を知り、自分の無知さを知りましたね。
     これであなたとも真理について語ることが出来そうです」と。

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◎「蝸牛(カギュウ)の角上(カクジョウ)の争い」
                           −則陽(ソクヨウ)−
  蝸牛の左の角の上の触氏(ショクシ)という国と、右の角の上の蛮氏(バンシ
  )という国とが争ったという寓話。つまり、小国どうしの争いのこと。つまら
  ない事で争うこと。

  【蝸牛(かぎゅう)】
   (1)「かたつむり」に同じ。
   (2)狂言の一。蝸牛(かたつむり)を知らぬ太郎冠者が、山伏をそれと思
      って失敗する。
                     −三省堂提供「大辞林・第二版」−
  cf.
  【則陽(ソクヨウ)篇第二十五】
   斉と魏の間で緊張が高まり、戦争が起きる寸前の状態になったときのこと。
   戴晋人(たいしんじん)は戦争の勃発を防ぐため、魏の王に会見して申し上
   げた。
   「その昔、
    蝸牛の左の角の上に触氏という国が、
    右の角の上に蛮氏という国
    がありました。
    あるとき、
    両国の国境をめぐって激しい戦争が勃発し、
    戦死者は数万にのぼり、
    逃げる敵を追撃する掃討作戦も十五日に及んだとのことです」
   王が
   「馬鹿馬鹿しいソラごとだ」
   と言うと、戴晋人は続けて、
   「それでは現実の話をいたしましょう。
    王様、どうか想像力を働かせてお答えください。
    われらの上下四方に広がる空間に、限りはあるでしょうか」
   「無限だ」
   「では、
    無限大の宇宙空間に精神を飛ばして、
    宇宙から私たちの生活圏を見おろした様子をご想像ください。
    はるかなる大宇宙から見たら、
    私たちの生活圏は小さな点ほどもないでしょう」
   魏の王は、
   想像の世界で、大宇宙からはるか眼下の地上を見下ろしながら答えた。
   「そのとおり」
   「生活圏のなかの小さな一部が魏であり、
    その魏のなかの一区画が都であり、
    その都のなかの建物に王がおいでです。
    大宇宙のなかの王さまの存在と、
    蝸牛の角のうえの蛮氏と、
    いかほどの差がありましょうか」
   「・・・大差ない」
   王は茫然として、戦争を中止した。

◎「邯鄲(カンタン)の歩(アユ)み」
                                 −秋水−
  燕(エン)の人が邯鄲の都に歩き方を習いに行ったが、会得できないうちに自
  分の国の歩き方をも忘れ、はって帰ったという。つまり、自分の本分を忘れて
  他人をまねるものは、両方とも失うこと。

  【邯鄲(かんたん)】
   (1)中国、河北省南部の都市。綿花・落花生の集散地。古来、山東・山西
      を結ぶ交通の要衝に当たり交易が盛ん。戦国時代には趙(ちよう)の
      国都。ハンタン。
   (2)・・・
   (3)・・・
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−

◎「兄弟は手足なり、
  手足断つ時は再び継ぎがたし。」

◎「空谷(クウコク)の蝗音(キョウオン)」
                          −除無鬼(ジョムキ)−
  人のいない谷間にひびく人の足音ということ。つまり、さびしく暮らしている
  時の来客のこと。また、嬉しい便りのこと。

  【空谷(くうこく)】
   人のいない谷間。寂しい谷。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−
  【蝗音(きょうおん)】    足音(あしおと)

◎「君子の交わりは淡(キヨ)きこと水の若く、
  小人の交わりは甘きこと醴(レイ)の若し。
  君子は淡くしてもって親しみ、
  小人は甘くしてもって絶つ。」
  【原】君子之交淡若水
     小人之交甘若禮
     君子淡以親
     小人甘以絶
                                −山本篇−
  立派な人物の交際は、まるで水のように淡白だが長続きする。つまらない人間
  の交際は、まるで甘酒のようにべたべたとなれ合うが長続きはしない。つまり
  、友人関係はあまりべたべたしてはいけないということ。

  【甘酒/醴(あまざけ)】
   米の粥(かゆ)に麹(こうじ)をまぜ発酵させて作る甘い飲み物。ひとよざ
   け。こざけ。[季]夏。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−

◎「謦咳(ケイガイ)に接す」
                          −徐無鬼(ジョムキ)−
  尊敬する人の話を直接聞くこと。直接、お会いすること。

  【謦咳(けいがい)】
   〔「謦」も「咳」もせきの意〕せきばらい。しわぶき。

◎「肯綮(コウケイ)に当たる」
                                −養生主−
  議論が急所をついてうまく当たること。

  【肯綮(こうけい)】
   〔「肯」は骨についている肉、「綮」は筋と肉とのつなぎめ〕物事の急所。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−

◎「虎口(ココウ)を脱する」

  虎の口を脱すること。つまり、危険きわまりない場所や状態からどうにか逃れ
  ること。

  【虎口(ここう)】
   〔虎(とら)の口の意から〕きわめて危険な場所や状態。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−

◎「米を数えて炊ぐ」
                         −庚桑楚(コウソウソ)−
  米粒を一つ一つ数えてから炊くこと。つまり、こせこせとつまらぬ末節にとら
  われること。

  【末節(まっせつ)】
   物事の重要でない部分。些細(ささい)な事柄。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−

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◎「井蛙(セイア)は以(モ)って海を語る可(ベ)からず」
  【原】「井蛙不可以語於海者、拘於虚也」
                                 −秋水−
  井戸の中しか知らない蛙に海の話をしても分かるはずがないということ。つま
  り、世間知らずに世の中の道理を言って聞かせても分かることはないというこ
  と。

  【井蛙(せいあ)】
   井戸の中にすむカエル。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−

  cf.「井戸の中の蛙大海を知らず」の元といわれている。
    荘子の『秋水編』にある、以下のような寓話が由来です。
    黄河の神『河伯』は、ある時 好奇心にかられて黄河を抜け出します。そ
    して、それまで一番だと思っていた黄河よりももっと雄大な海を見て、自
    分の無知を自覚しました。
    河伯に渤海の神『若』が言いました。
    「井戸の中に住む蛙は、海を語ることができない(井蛙は以って海を語る
     べからず)。それは彼らがその狭い住処にとらわれているからだ。夏の
     虫には氷の事を話しても分からない。それは彼らが夏の季節しかないと
     信じこんでいるからだ。見識の狭い者に道を語っても分からない。それ
     は彼らが常識の教えに縛られているからだ」と。
    『若』続けて言いました。
    「今、あなたは黄河から出て大海を知り、自分の無知さを知りましたね。
     これであなたとも真理について語ることが出来そうです」と。

◎「単林一枝(ソウリンイッシ)」

  鳥は林の中のたった一本の枝を使って巣を作る。つまり、小さい住居に満足し
  て住むということ。

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◎「大声(タイセイ)は里耳(リジ)に入らず」
                                 −天地−
  上品な音楽は俗人の耳には入り難いということ。また、高尚な道理は、俗人に
  は理解されないということ。

  【大声(たいせい)】
   (1)大きな声を出すこと。おおごえ。
   (2)高雅な音律。上品な音楽。
   (3)偉大な道理を含んだ語。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−
  【里耳(りじ)】
   俗人の耳のこと。

◎「卵を見て時夜(ジヤ)を求む」

  まだ雛にもかえっていない卵を見るやいなや、もう鶏に成長して時を知らせる
  ことを求めること。つまり、あまりにも早計に結果を期待すること。また、手
  に入るかどうか分からないものを当てにすること。

  【時夜(じや)】
   鶏が夜明けに鳴いて時を告げること。

◎「直木(チョクボク)は先(マ)ず伐(キ)られ、
  甘井(カンセイ)は先ず竭(ツ)く。」
                                 −山木−
  まっすぐな木は材木に適しているため真っ先に伐り倒され、良い水の出る井戸
  は真っ先にくみ尽くされて枯れてしまう。つまり、優れた才能のある人は早く
  使い切って衰えてしまうということ。

  【甘井(かんせい)】
   うまい水の出る井戸。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−

◎「轍鮒(テップ)の急」
                                 −外物−
  差し迫った危機・困窮に瀕(ヒン)すること。

  【轍鮒(てっぷ)】
   〔荘子(外物)〕車輪の跡の水たまりにいる鮒(ふな)。危急が目前に迫っ
   ているたとえ。わだちのふな。
  【轍(てつ)】
   車輪の跡。わだち。
  【鮒(ふな)】
   コイ目コイ科フナ属の淡水魚の総称。全長約15〜40センチメートル。コ
   イに似るが、口ひげを欠き体高が大きく、側扁する。体色は銀白色で、背は
   暗褐色を帯びる。形態的特徴からキンブナ・ギンブナ(マブナ)・ゲンゴロ
   ウブナ(ヘラブナ)などに分かれる。突然変異した個体を品種改良したもの
   がキンギョとされる。釣魚として親しまれる。食用。アジア・ヨーロッパな
   どの湖沼・河川に分布。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−
  【故事】
   轍に鮒がいた。問うと、「水を汲んできて助けてくれ」と言う。「これから
   呉か越に行って水を得て、それからお前を迎え入れよう」と言うと、鮒は大
   いに怒り、「今は一刻を争うところであり、後日の大量の水よりも一滴の水
   が必要なのだ。そうでなければ私は死ぬから、私を迎えたいのであれば、乾
   物屋にでも行って探し求めるが良い」と言った。
                      −荘子(ソウジ)・雑篇・外物−

◎「蟷螂(トウロウ)の斧」

  中国の三国時代、斉の荘公が、馬車で狩に出たとき、一匹のちいさな虫がその
  斧を振り上げ、馬車の車輪を叩こうとしました。荘公がその姿に興味を持って
  、御者に聞きました。
  「これはなんという虫だ?」
  御者は答えて言いました。
  「これはカマキリという虫です。
   この虫ときたら、
   進むことを知って引くことを知りません。
   自分の力を考えないで敵を軽んじます。」
  それを聞いた、荘公は静かに笑い、
  「これが人なら、きっと天下にとどろく勇士となるだろう。道をあけよ」
  といって、カマキリに道を譲り、馬車を遠回りさせて狩を続けました。
  という「荘子」などの故事から、自分の力量を量らずに大敵と戦うこと。つま
  り、無謀で身のほどをわきまえない行いをすること。

  【蟷螂/螳螂(とうろう)】
   カマキリの漢名。[季]秋。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−

◎「呑舟の魚(ウオ)」
                         −庚桑楚(コウソウソ)−
  舟をのみ込むほどの大魚のこと。つまり、(善悪を問わず)大人物のこと。大
  物のこと。

  【呑舟(どんしゅう)】
   舟をまるのみにすること。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−

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◎「尾生(ビセイ)の信」
                               −盗跖など−
  中国春秋時代の魯(ロ)の尾生が、女と橋の下で待ち合わせの約束をしたが女
  は来ず、そのうち大雨となって川が増水してきたが、尾生は約束を守ってその
  場を動かず、ついに橋脚を抱いたままおぼれ死んだという。つまり、固く約束
  を守ること。また、ばか正直で融通のきかないこと。

  【魯(ろ)】
   中国、周代の諸侯国の一。紀元前一一世紀に周の武王が弟の周公旦(たん)
   に与えた領地。都は山東省の曲阜(きよくふ)。春秋時代から国勢は振るわ
   なかったが周の文化を最もよく伝え、孔子を生んだ。前249年楚(そ)に
   滅ぼされた。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−

◎「顰(ヒソミ)に倣(ナラ)・う」
                           −天運(テンウン)−
  春秋時代、越の国に西施(セイシ)という美しい女性がいた。西施は胸が痛む
  持病があった。ある日、また発作が起きたが、彼女が胸元を押さえ、眉間にし
  わを寄せた姿にはなんともなまめかしく、か弱い女性の美しさがにじみ出てい
  た。彼女が里から歩いて来るその様に、里の人たちは皆目が釘付けになった。
  また、里に一人に東施(トウシ)という醜い女がいた。この日、西施が胸元を
  押さえ、眉をひそめた様子にたくさんの人が見とれているのを見た東施は帰っ
  てから、西施のまねをして、胸元を押さえ、眉をひそめて、村の中を行ったり
  来たりした。図らずも、この醜い女が大げさ振る舞うとただでさえ醜い顔がも
  っとひどくなった。だから、この女の奇怪な様を見ると里の金持ちは、すぐに
  扉をピッタリと閉め、貧乏人は妻や子を連れて遠くに逃げるといった具合であ
  った。西施のまねをして、奇怪な様で村の中を歩き回る東施を見て、皆まるで
  疫病神にでも会ったかのようだった。この東施は西施が眉をひそめた様子が美
  しいということだけはわかったが、なぜ彼女が美しいのかはわからなかった。
  つまり、むやみに人のまねをするのは愚かなことだということ。また、善し悪
  しを考えずに人まねをすること。あるいは、人にならって、同じようなことを
  するのを謙遜していう語。

  【顰み/?み(ひそみ)】
   〔動詞「顰(ひそ)む」の連用形から〕眉をよせ顔をしかめること。
  【倣う/慣らう(ならう)】
   (1)あることを手本として同様に行う。まねる。
   (2)何度も繰り返して、それが習慣になっている。なれている。
   (3)慣れ親しむ。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−

◎「人は流水に鑑(カンガ)みるなくして 
  止水に鑑みる」

  【原】人莫鑑於流水 而鑑於止水

  流れている水は澄みにくく、人の姿を映すことが出来ないが、静止している水
  は、澄んでいて鏡のように人の姿を映すことが出来るということ。つまり、澄
  んで落ち着いた心で物事を見ることで、どんな事態に陥っても慌てることなく
  、要点をおさえ、適切な判断を下すことができるということ。

  【鑑みる(かんがみる)】
   〔「かがみる(鑑)」の転〕先例や規範に照らし合わせる。他を参考にして
   考える。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−

◎「人みな有用の用を知りて、
  無用の用を知るなきなり。」

  無駄も必要です。つまり、ゆとりがあってこそ、物事もうまく運ぶ、というこ
  と。

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◎「無何有(ムカウ)の郷(サト)」
                       −逍遥遊(ショウヨユウ)−
  自然のままの理想郷。また、何も無くはてしなく広々とした所ということ。

  【無何有(むかう)】
   〔「むがう」とも。何か有るか、何もない、の意〕作為がなく自然なこと。
   また、そのような境地。むかゆう。
                      −三省堂提供「大辞林第二版」−
  【逍遥遊(しょうようゆう)】
   何ものにもとらわれない自由気ままな境地に遊ぶこと。

◎「無用の用」
                                −人間世−
  一般的に役に立たないとされている物も、活用の仕方では、むしろ役に立つも
  のであるということ。

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◎「来世は待つべからず、
  往世(オウセイ)は追うべからず。」

  未来をあてにして今の苦しみをまぎらわすこともできないし、過去の思い出に
  ひたって自らを慰めることもできないということ。つまり、与えられた現実を
  生きること以外に人生はないということ。

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