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「大垣城〔別名:巨鹿城(きょろくじょう)・麋城(びじょう〕」
(岐阜・大垣市/08.03.23) |
| 望楼型(1594年築/4重4階) 〜層塔型(1620年改/3重4階)の過渡型 /連郭輪郭複合式 /平城 /復元天守(1959年復元) |
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【大垣城〔別名:巨鹿城(きょろくじょう)・麋城(びじょう〕】 大垣城は天文四年宮川安定定が城郭を築き、永禄四年に大垣城主氏家ト全が城郭の建築工事をほどこしました。 天守の造営は慶長元年に行われ、その後改修を経て、以来この天守閣は四重四階総塗りごめ様式でたいへん優美な城として歴史の上からも貴重なものでした。昭和11年には国宝に指定され、郷土博物館として親しまれてきました。 昭和20年7月29日、戦災で惜しくも焼失し、その後再建の気運が高まり、昭和34年4月、昔のままの姿で再建されました。 昭和60年4月、戸田公入城350年を記念して隅櫓や土塀の一部が修景整備されました。 [大垣城の別名] ・巨鹿城(きょろくじょう) いつ頃から呼称されてきたかは不詳。 大きく立派な城という意味。 「巨」は「大・さしがね・定規」のことで、「鹿」は動物の「シカ」。人間社会では「政権」を意味し、正しい定規で律する。また「権威の座」を意味しています。 ・麋城(びじょう) 麋は、「ナレシカ・ミギワ・ホトリ」など水辺のことを意味しており、また、「大きくて立派な」と言う巨鹿と同じ意味を持っています。明治時代から呼称されました。 |