「岡山城〔烏城(うじょう)・金烏城(きうじょう)〕」(岡山・岡山市/07.11.04)
岡山城〔烏城(うじょう)・金烏城(きうじょう)〕」(岡山・岡山市/07.11.04)">
「岡山城〔烏城(うじょう)・金烏城(きうじょう)〕」(岡山・岡山市/07.11.04)
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↓ 後楽園より見た岡山城

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「岡山城〔烏城(うじょう)・金烏城(きうじょう)〕」
(岡山・岡山市/07.11.04)

後期望楼型複合式平山城復元天守(1966年復元)

【岡山城〔烏城(うじょう)・金烏城(きうじょう)〕】
 慶長2(1597)年、豊臣五大老の一人・宇喜多秀家が築城した岡山城。三重六階の天守閣は織田信長の安土城天主閣を模して築かれた、全国的にも珍しい不等辺五角形の天守台をしています。また、関ヶ原合戦以前の古式を伝える貴重な天守です。
 黒い下見板張りの外観から別名「烏城(うじょう)と呼ばれ、また、金の鯱を挙げていたと伝えられるため「金烏城(きうじょう)」とも呼ばれます。

 宇喜多秀家が築いた天守閣は、石垣からの高さが20.45m、2階建ての建物を大中小3つ重ねた3層6階の構造をしています。内部には、城主が生活をしていた「城主の間」があって、天守閣としては全国的にも珍しい設備でした。天守閣は昭和20年の空襲で消失してしまい、現在の天守閣は昭和41年に復元されたものです。

 第4代城主・池田忠雄が建てた隅櫓。最上階に廻縁をつけた楼閣風で「月見櫓」と呼ばれます。戦火を免れて、創建時の姿を今に伝えています。国指定重要文化財です。

 西の丸西手櫓は、池田光政が隠居した西の丸の西端に建つ2層2階の隅櫓です。月見櫓とともにも戦火を免れて、創建時の姿を今に伝えています。国指定重要文化財です。

 現在見ることができる不明門、廊下門は天守閣と同時に復元されたものです。

大手門址から登城していくと、嫁様曰く「倉庫の上に櫓が乗っている感じ。」と。確かに、城公園の作りも、城正面は空き地が多く、工事中もあったが、廊下門(裏口?)=後楽園側は石碑が建っていたりして整備されていた。しかし、関ヶ原合戦以前の古式な作りを残しています。ラッキーなことに、月見櫓の特別公開期間でしたので最上階まで登ることが出来ました。この後、後楽園へ°°┏(;;; ̄Q ̄)┛°°・ハァハァ