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「金沢城〔別名:尾山城)」
(石川・金沢市/08.05.25) |
| [ | 築城主 | ] | 佐久間盛政(1580) |
| [ | 歴代城主 | ] | 佐久間氏、前田氏 |
| cf.築城主・歴代城主の後ろの数字は築城年・石高(単位:万石) |
| (不明・1592年築))・御三階櫓(1593年築) /(縄張り) /梯郭式平山城 /(なし) |
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【 金沢城 】 金沢城は、石川県金沢市丸の内にあった城。加賀藩主前田氏の居城でした。 金沢平野のほぼ中央を流れる犀川と浅野川とに挟まれた小立野台地の先端に築か れた戦国時代から江戸時代にかけての梯郭式の平山城です。 櫓や門に見られる、白漆喰の壁にせん瓦を施した海鼠壁と屋根に白い鉛瓦が葺か れた外観、櫓1重目や塀に付けられた唐破風や入母屋破風の出窓は、金沢城の建築 の特徴です。 織田信長が、この地にあった加賀一向一揆の拠点で浄土真宗の寺院であった「尾 山御坊(おやまごぼう)」を攻め落とし、佐久間氏を置いて「金沢城」としました 。 典型的な平山城で、櫓を多用した構造になっていまさう。また、瓦には冬の積雪 に耐えられるように、軽量であり、また、有事には鉄砲弾にもなる鉛瓦が用いられ ました。本丸・二の丸・三の丸があったが、天守や三階櫓の焼失後は二の丸を藩主 の居所とした。天守は再建されませんでした。 城の周囲には、大手堀、いもり堀、百間堀(ひゃっけんぼり)、白鳥堀(はくち ょうぼり)が存在した。現存するのは大手堀のみで、他の3つの堀は明治時代末か ら大正時代にかけて埋め立てられ道路などになりました。 cf. 現在、金沢城の第2期復元整備事業が進められている(事業期間:2006年− 2014年)。 2010年春の完成を目指す河北門の復元事業は、2007年11月に工事着工 された。その他には、石川門の保存修理、橋爪門二の門の復元整備、いもり堀の段 階復元などが計画されている。金沢城の中核をなす二の丸御殿の復元については、 2007年9月19日の石川県議会において谷本知事が「絵図、文献資料の解読に 一定期間が必要であり、現時点では復元は困難(要旨)」との考えを示したそうで す。 |
| 撮影場所 & 地図(Mapion)↓ |
| 金沢城:http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=Air&nl=36/33/39.798&el=136/39/44.723&scl=10000&icon=home,,,,,&coco=36/33/39.798,136/39/44.723 |
| cf. |
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・金沢城公園ホームページ:http://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/kanazawajou/ |
| <石川県> |
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・金沢城調査研究:http://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/kanazawajou/ |
| <石川県> |
|
・再現 金沢城:http://shofu.pref.ishikawa.jp/inpaku/castle/index_j.htm |
| <石川新情報書府> |
| ・金沢城:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%B2%A2%E5%9F%8E |
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