「岐阜城(稲葉山城)」(岐阜・岐阜市/07.10.07)
「岐阜城(稲葉山城)」(岐阜・岐阜市/07.10.07)
「岐阜城(稲葉山城)」(岐阜・岐阜市/07.10.07) 「岐阜城(稲葉山城)」(岐阜・岐阜市/07.10.07)
「岐阜城(稲葉山城)」(岐阜・岐阜市/07.10.07)
「岐阜城(稲葉山城)」(岐阜・岐阜市/07.10.07)
「三重塔」(岐阜・岐阜市/07.10.07)

「岐阜城(稲葉山城)」
(岐阜・岐阜市/07.10.07)

築城主 二階堂行政(1201)
歴代城主 二階堂氏20→斎藤氏50→織田氏250→池田氏15→織田氏35
  cf.築城主・歴代城主の後ろの数字は築城年・石高(単位:万石)

望楼型独立式山城復興天守 (1956年復興・3層4階・RC造)

【 岐阜城 】
 岐阜城(ぎふじょう)は、岐阜県岐阜市(旧・美濃国井之口)の金華山(稲葉山
)にある
山城跡です。岐阜市指定史跡です。
 織田信長が、斎藤龍興から奪取した稲葉山城の縄張りを破却して、新たに造営し
たものが岐阜城です。
 「信長公記」に、

 「尾張国小真木山より濃州稲葉山へ御越しなり。
  井口と申すを今度改めて、岐阜と名付けさせられ・・・」

と記載されている。稲葉山(井口山)からのつづきが、瑞龍寺山といいます。
 信長以前の斎藤氏が居城としていた時代の同時代史料には「井口城」「金華山城
」として登場します。
 
山城です。京都に対して東の要所に位置し、難攻不落の名城として知られている
が、歴史上7回の落城にあっている。
 山頂部の平坦面は少なく、井戸も雨水を蓄えるもので、戦国時代末期の大人数に
よる長期籠城戦には本質的に不向きでした。
 織田信長時代には、山頂部には信長の家族や人質が暮らしていたことが、永禄1
2(1569)年、来岐した宣教師ルイス・フロイスの書簡から伺える。
 その構造は斎藤道三時代に遡るだろう。岐阜城は小牧城、安土城と同じく、城下
町を見下ろす景観に優れる。つまり合戦のための城でなく、基本的に城主の居住空
間である。
 麓に天主(てんしゅ)と呼ばれる御殿があり、そこへ通じる道の両側に当時は石
を積んだ塀がめぐらされて、その先の上段の「千畳敷」と呼ばれるところにその御
殿があった。

犬山市から岐阜市に入りしばらくすると山の上に天守らしきものが見え始め、「まさかあれが岐阜城じゃあないよね」と言いながら車を走らせていると・・・あたり!「あそこまで登るの?(T▽T)」と駐車場を探していると「金華山ロープーウェー」の看板発見!C=(^◇^ ; ホッ!・・登ってみると「よくもまあこんな所に昔も今も城を造ったものだ!」と言うような、山上の断崖の上に建てられていた。しかし、金華山上に建てられただけあって景観がすばらしく、夜景も素晴らしだろうと想像できる。降りる時は日が暮れてきて、山麓から少し登ったところに建つ三重塔が暗闇の中をライトアップされて怪しく浮かんでいた。  ロープーウェーを降りると、岐阜公園がイルミネーションで飾られて綺麗でした。

撮影場所 & 地図(Mapion)↓
岐阜城:http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=Air&nl=35/25/50.837&el=136/47/06.860&scl=25000&icon=home,,,,,&coco=35/25/50.837,136/47/06.860
岐阜公園:http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=Air&nl=35/25/56.136&el=136/46/42.528&scl=25000&icon=home,,,,,&coco=35/25/56.136,136/46/42.528

・岐阜城:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%90%E9%98%9C%E5%9F%8E
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