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【伏見城(太閤秀吉の隠居城/別名:桃山城・指月城)】 伏見城は豊臣秀吉が晩年の隠居城として文禄元(1592)年指月(しげつ)の地に淀古城の天守と櫓および聚楽第の建物を移築して建てさせたもので、桃山文化の粋を集めた豪壮華麗な大城郭でした。 しかし、移築された伏見指月城が、文禄5(1596)年閏7月13日の伏見大地震で倒壊したため、秀吉はこの大地震の経験を踏まえ、その翌日よりまず築城地に地盤の確かな木幡山(桃山)の地を選ぶとともに、新たに耐震性のある構造の城を築城しました。本丸(現明治天皇陵北部)の西北に五重の天守が建てられ、そのほかに二の丸・松の丸・名護屋丸などを配置し、出丸を加えると十二の曲輪があったといわれます。輪郭式、連郭式の平山城です。ちなみに秀吉はこの伏見城中で没しています。 このような伏見城でしたが、慶長5(1600)年関ヶ原合戦の際に、西軍の小早川秀秋と島津義弘の攻撃によって灰塵に帰しました。 慶長6(1601)年に徳川家康は小堀政次と藤堂高虎に再建を命じ、将軍宣下式はこの城で行われました。 元和9(1623)年三代将軍家光の時、一国一城の法度により廃城となり取り壊わされ、建造物は京都の社寺、石垣は淀城、大阪城の修築に使用されました。 現在の伏見城天守は、昭和39(1964)年にお城に遊園地、伏見桃山城・キャッスルランドの展示館として建てられたもので、本来の天守の位置が伏見桃山稜にあたるため、かっての伏見城のお花畑山荘に建てられたコンクリート造りの模擬天守です。 城内の展示物では、NHKの放送でも堺屋太一さんが紹介した秀吉の金ピカ茶室が印象的です。 cf.現在(2007.5.5)、天守閣内部には入ることができません。 |