「花岳寺(かがくじ)」(兵庫・赤穂市/08.06.15)
「花岳寺(かがくじ)」(兵庫・赤穂市/08.06.15) 「花岳寺(かがくじ)」(兵庫・赤穂市/08.06.15)
「大石内蔵助良雄之像」(兵庫・赤穂市/08.06.15)
「花岳寺(かがくじ)/大石内蔵助良雄之像」
(兵庫・赤穂市/08.06.15)


花岳寺(かがくじ)】
 所在地 兵庫県赤穂市加里屋1992
 山号  台雲山
 宗派  曹洞宗
 本尊  釈迦如来
 創建年 正保2年(1645年)
 開基  秀巌龍田
 札所等 新西国三十三箇所31番
     瀬戸内観音霊場7番
 文化財 山門(市文化財)、
     赤穂藩主・家臣墓地

 花岳寺(かがくじ)は播磨国赤穂藩・浅野家、永井家、森家歴代藩主の菩提寺であり、また、大石良雄の祖先が眠る大石家墓地、義士墓がある。浅野家、赤穂浪士に関する展示物が収蔵されている義士宝物館が併設されている。
 <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E5%B2%B3%E5%AF%BA>より作成
鳴らずの鐘
 もともとの鐘は赤穂二代目藩主浅野長友公の鋳造になるものといわれている。その後、三代目藩主長矩公の刃傷事件後、元禄15年(1702年)の四十七士の討ち入り、翌年の切腹と続く。この悲報に接した人々は寺に集まり、冥福を祈りこの鐘を打ち続けたといわれている。あまりにも撞きすぎたため、以来、この鐘は鳴らなくなってしまい、寛政9年(1797年)に再鋳造されるまで鐘の鳴ることはなかったという。勿論、現存の鐘は再鋳造されたものであるから撞けば鳴る。
 これが「鳴らずの鐘」といわれている由来であるとされている。
大石名残の松
 「山門」をくぐると直ぐ正面松の木が見えるが、これが「大石名残の松」。
 もともとは元禄4(1691)年に大石良雄が母の冥福を祈り植えた松であり、元禄14(1701)年に赤穂を離れるとき、この木の下で名残を惜しんだため、後に、このように呼ばれたとされている。
 ただ、元禄4年に植えられた松は昭和2(1927)年に松食い虫により枯れてしまったようで、現存の松の木はその後植えられた二代目といわれている。
 画像は初代「大石名残の松」?
【瀬戸内海国立公園赤穂御崎】
 御崎(みさき)は、兵庫県赤穂市御崎に属し、瀬戸内海(播磨灘北西部)に面する岬。
 播磨灘屈指の景勝地であり、瀬戸内海国立公園に含まれる。 景勝海岸のほかに、海岸の遊歩道沿いに立つ「大石名残の松」や、一目5千本といわれる桜など見所も多い。
 千種川河口東方に立地し、主として流紋岩質凝灰岩と流紋岩から成る小半島の南端。半島の山頂と沖合いの御前岩に灯台がある。
 沖には家島諸島及び小豆島が望まれる景勝地で、温泉もあり、保養所や旅館が並ぶ。
 西側一帯はかつて赤穂塩(天塩)の採れる塩田であった。現在は赤穂海浜公園となっている。
 <>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E5%B4%8E>より作成
大石内蔵助良雄之像
 瀬戸内海国立公園、赤穂御崎に佇む大石内蔵助良雄之像
 元禄15(1702)年10月に、大石内蔵助は江戸に向かって京都を出発している。いよいよ討ち入りを決行するための出発だ。その「旅立ち」の像。

花岳寺では、わずかな料金なのに、案内人がついてくれて義士墓などの説明をしてくれてありがたかった。その後、赤穂岬へまわったが、あいにくの天候で、もし晴れていたら素晴らしい瀬戸内の景観だったことだろう!