「赤穂城〔別名:加里屋(かりや)城・大鷹(おおたか)城〕/大手隅櫓」(兵庫・赤穂市/08.06.15) 「赤穂城〔別名:加里屋(かりや)城・大鷹(おおたか)城〕/大手隅櫓」(兵庫・赤穂市/08.06.15)
「赤穂城〔別名:加里屋(かりや)城・大鷹(おおたか)城〕/大手門」(兵庫・赤穂市/08.06.15)
「赤穂城〔別名:加里屋(かりや)城・大鷹(おおたか)城〕/本丸門の左側堀」(兵庫・赤穂市/08.06.15) 「赤穂城〔別名:加里屋(かりや)城・大鷹(おおたか)城〕/本丸門」(兵庫・赤穂市/08.06.15) 「赤穂城〔別名:加里屋(かりや)城・大鷹(おおたか)城〕/本丸門の右側堀」(兵庫・赤穂市/08.06.15)
「赤穂城〔別名:加里屋(かりや)城・大鷹(おおたか)城〕/大手門」(兵庫・赤穂市/08.06.15)
「赤穂城〔別名:加里屋(かりや)城・大鷹(おおたか)城〕/天守台」(兵庫・赤穂市/08.06.15)
「赤穂城〔別名:加里屋(かりや)城・大鷹(おおたか)城〕/天守台より本丸内」(兵庫・赤穂市/08.06.15) 「赤穂城〔別名:加里屋(かりや)城・大鷹(おおたか)城〕/天守台より本丸内」(兵庫・赤穂市/08.06.15) 「赤穂城〔別名:加里屋(かりや)城・大鷹(おおたか)城〕/天守台より本丸内」(兵庫・赤穂市/08.06.15)
「赤穂城〔別名:加里屋(かりや)城・大鷹(おおたか)城〕/厩口門」(兵庫・赤穂市/08.06.15)
「赤穂城〔別名:加里屋(かりや)城・大鷹(おおたか)城〕/西隅櫓台」(兵庫・赤穂市/08.06.15)
「大石神社」(兵庫・赤穂市/08.06.15) 「大石神社」(兵庫・赤穂市/08.06.15)
「赤穂城〔別名:加里屋(かりや)城・大鷹(おおたか)城〕/現地案内板」(兵庫・赤穂市/08.06.15)

「赤穂城〔別名:加里屋(かりや)城・大鷹(おおたか)城〕/大石神社(おおいしじんじゃ)」
(兵庫・赤穂市/08.06.15)

(建造されず)(建造されず)変形輪郭式平城(建造されず)

【赤穂城〔別名:加里屋(かりや)城・大鷹(おおたか)城】
 赤穂城(あこうじょう)は兵庫県赤穂市にある「忠臣蔵」で有名な城。国指定の史跡・名勝。
 江戸時代、赤穂藩の藩庁が置かれた。元和偃武の後、本格築城された城郭である。縄張りは変形輪郭式。本丸と二の丸が輪郭式に配され、その北側に三の丸が梯郭式に置かれている。銃砲撃戦を意識した設計となっており、十字砲火が可能なように稜堡に良く似た横矢掛かりが数多く用いられている。縄張りは赤穂浅野氏初代長直の時代、浅野氏の軍師で甲州流兵学者の近藤三郎左衛門正純によってなされた。長直は築城中、山鹿素行を招聘し、縄張りについて意見を聞いた。これにより二の丸周辺の手直しがされた。それまでは一重の堀に囲まれた掻上城(かきあげじょう)という質素なものであった。
 赤穂城は5万石の浅野氏には過度に広壮で、これがために財政難に陥った。5層天守の造営も計画されていたが幕府への遠慮か財政難の為か造営されず、天守台のみが今日に残っている。
 市内を流れる千種川より上水道を敷設し、城内のみならず城下各戸にも給水されていた。日本三大上水道の一つに数えられている。
 明治時代前期に城内の建物は破却され石垣と堀のみが残っていた。昭和・平成と櫓・門・塀・庭園が再建された。現在もなお二の丸庭園を再建中である。また、昭和3年から56年の間には、本丸内に西洋洋館風の旧制赤穂中学・新制赤穂高校の校舎が建っていた。
 本の丸には、櫓門の本の丸門、厩口門が復元され、また本の丸御殿が平面的に復元され、当時の御殿の間取りが良くわかる。
 三の丸の、大手門・隅櫓が復元されているが、大手桝形は、左曲がりだが、本来は右曲がりで櫓門が存在していた。 ここも現在復元工事中で、右曲がりに石垣が組み直され、大手櫓門も復元される。
【大石神社(おおいしじんじゃ)】
 大石神社は、忠臣蔵のモデルである元禄赤穂事件において討ち入りをした大石内蔵助良雄ら赤穂義士を祀る神社である。江戸時代には幕府にはばかって表立って顕彰することはできなかったが、明治元(1868)年、明治天皇が赤穂義士の墓のある泉岳寺に勅使を遣わし義士たちを弔って以降、赤穂と京都に義士を祀る神社が創建された。
【赤穂の大石神社】
 主祭神 大石内蔵助良雄公以下四十七士命
     萱野三平
     浅野家三代
     森家七将
 創建  明治33年(1900年)
 大石内蔵助良雄ら赤穂義士47人および中途で自害した萱野三平重実を主祭神とする。
 元禄赤穂事件以降、義士を称揚する人々によって旧赤穂城内の大石邸内に小さな祠が設けられ密かに祀られていた。明治33(1900)年、あらためて「大石神社」として神社を創建することが政府から許可され、明治43年4月起工、大正元(1912)年に社殿が竣工した。昭和3年、無格社から県社に昇格された。第二次大戦後、城内の神社に祀られていた赤穂藩主浅野家の三代(内匠頭長直・采女正長友・内匠頭長矩)、および城外の赤穂神社に祀られていた、浅野家の後に赤穂藩主となった森家の祖先の七武将(森蘭丸ら)を合祀した。
 境内社として浅野家が藩主だった時代から藩民の崇敬を受けた神社が多数ある。
 他に、義士の遺品などを陳列する義士宝物殿、浅野長矩・四十七士らの木像を展示する木像館、国指定史跡の大石邸長屋門などがある。

「天守のない城だからそれほど広くはないだろう」と甘く見たのが間違い!本丸・二の丸・三の丸・大石神社とへとへとになりながら回った。天守はないが天守台が立派でした。現在、修復中の場所が多く、完成が楽しみです♪・・・大手門そばの「元祖・討ち入りそば」がべ〜やん好みで美味しかった♪(@ ̄¬ ̄@)ジュルリ♪