「備前周匝(すさい)茶臼山城(ちゃうすやまじょう)」

「茶臼山城」
(岡山・赤磐市/09.05.24)

【備前周匝(すさい)茶臼山城(ちゃうすやまじょう)】
 岡山県赤磐市周匝(すさい)に聳える茶臼山(標高約180メートル)の上に在り前は吉井川に沿える周匝平野、後は津山川を隔てて飯岡平野を望み、景観は非常に勝れている。
 本丸は東南に向って広い楕円形をなし、二の丸はその西続きの山頂に、とりでは津山川に臨む大仙山の上に在り、他に出丸・太鼓丸・空堀・井戸・小池・土塁などの跡が遺り、当時として相当の防備を持つ代表的な山城である。
 戦国の昔、安芸の国より佐佐部亦次郎が改築を行い、天神山城主浦上宗景に属して勢をに振ったが、子の勘斎貞利に至り、宗景を亡ぼした宇喜多直家方の延原弾正を撃ち破ったことにより、天正七年三月直家に攻められて、城と運命を共にしたのである。なお津山川に面した一ノ谷には勘斎の子の千千代の墓が在る。
 この地は美作国と備前国を結ぶ交通の要路であり、国境の要所であるため、歴史上、重要な場所であった。
 城の築城時期は不明であるが、概ね中世、享禄・天文の頃に築かれたものと推察される。
 城郭の形態は連郭式と呼ばれ、二つの尾根上に総延長約八百メートルにわたって土壇築成と削り出しによって城郭施設が構築されており、現在も比較的に良好な状態で遺存している基調な城址である。
◆池田家代々の墓所(空の塚)
 天正七年笹部勘斎討死落城より約半世紀寛永九年岡山藩主池田光政が鳥取より転封に当り、国老池田伊賀守長明が配され周匝他二万二千石賜り当地に館を築いて以来、初代より七代まで代々藩主の墓所である。
『茶臼山城跡案内板』より

 入館無料。その模擬天守の前には旧吉井町内で確認された竪穴式住居の実物大復元模型が置かれている。(茶臼山城に天守があった事実はなく、あくまで観光用の模擬天守)
cf.
【茶臼山(ちゃうすやま)】
 茶臼山(ちゃうすやま)は、形状が茶の湯のてん茶を抹茶に挽く茶臼に似ているとされる富士山のような末広がりの形の山のことである。茶磨山(ちゃすりやま)とも呼ばれる。山の名前としては、通称を含め全国に200以上あるという。かつて戦で縁起を担ぐ武将に好まれ陣が張られた場所が多い。
 天然の山ではなく古墳であることもしばしばある。前方後円墳の形が茶臼にも見えるからである。
−出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』−
【吉井川(よしいがわ)】
 岡山県の東部を貫流している吉井川は、旭川(あさひがわ)と共に備前国の二大河川で、古来旭川を「西の大川(おおかわ)」と称するのに対して、吉井川は「東の大川」と呼ばれていました。また、「吉井川」とは、明治以降に統一した名称で、以前は他の河川と同様に通過地の地名で呼ばれ、上流で「奥津川(おくつがわ)」、津山城下へ出て「津山川(つやまがわ)」となり南下して「周匝川(すさいがわ)」、「和気川(わけがわ)」、「吉井川」、「雄神川(おがみがわ)」などと名を改めました。


地図(Mapion):茶臼山城:http://www.mapion.co.jp/c/f?grp=link&uc=1&scl=70000&icon=star,0,,,,&coco=34/55/14.542,134/05/42.568&nl=34/55/14.542&el=134/05/42.568&BT=%C3%E3%B1%B1%BB%B3%BE%EB&BL=%CC%E1%A4%EB&BU=http%3A%2F%2Fwww.be-yan.net%2Fi%2F&bid=Mtool


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