
「池田城」
(大阪・池田市/07.7.1)
池田城は1400年代初頭に現在の地にその基礎を築いたとの説が有力ですが、1336年の古文書にも「池田城」の名が見られることから、この頃に遡られるのではないかという説もあります。いくつか残る摂津池田氏の系図によると、初代城主は 池田教依(ノリヨリ)で、その後、次第に池田氏は力をつけ始め、金融業などで成功し、織田信長が摂津へ侵攻する永禄11年(1568)には有力国人となりました。
この時池田氏は、荒木村重や中川清秀を家臣に持ち織田勢と一戦するが降伏。市には放火され、城は焼け落ちました。その後、加増と摂津三守護に命ぜられ、織田氏の配下となって各地を転戦します。
その後荒木村重が摂津の支配者となり、信長に対して謀反を起こすが、その時、再び池田は「古池田」として城の跡地が利用されていたようです。
虎口・土塁・排水溝・井戸・枯山水の庭等が、発掘調査の結果に基づいて復元されています。また、二層の模擬天守(櫓)と4ヶ所の城門(模擬)が新たに設けられています。
地図(Mapion):http://www.mapion.co.jp/c/f?grp=link&uc=1&scl=25000&icon=star,0,,,,&coco=34/49/25.453,135/25/52.196&nl=34/49/25.453&el=135/25/52.196&BT=%C3%D3%C5%C4%BE%EB&BL=%CC%E1%A4%EB&BU=http%3A%2F%2Fwww.be-yan.net%2Fi%2FCastle%2Fsettu_ikedajou070701.html&bid=Mtool
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