「金沢城〔別名:尾山城)」(石川・金沢市/08.05.25)

「金沢城」
(石川・金沢市/08.05.25)

【金沢城】
 金沢城(かなざわじょう)は、石川県金沢市丸の内にある戦国時代から江戸時代にかけての平山城跡で、加賀藩主前田氏の居城だった。
 金沢平野のほぼ中央を流れる犀川と浅野川とに挟まれ、小立野台地の先端に位置している。また、兼六園は、金沢城に付属してつくられた大名庭園である。
 典型的な平山城で、櫓を多用した構造になっている。また、瓦には冬の積雪に耐えられるように、軽量であり、また、有事には鉄砲弾にもなる鉛瓦が用いられた。本丸・二の丸・三の丸があったが、天守や三階櫓の焼失後は二の丸を藩主の居所とした。天守は再建されなかった。
あまり堅固な城とは言えず、有事の際は城下町にて敵を迎え撃つため軍事拠点として多くの寺が建立された。そのうちのひとつ、妙立寺(通称忍者寺)の井戸には金沢城に通じる抜け穴があるとされる。
 城の周囲には、大手堀、いもり堀、百間堀(ひゃっけんぼり)、白鳥堀(はくちょうぼり)が存在した。現存するのは大手堀のみで、他の三つの堀は明治時代末から大正時代にかけて埋め立てられ道路などになった。このうち、いもり堀は復元作業が続けられている。
 白鳥堀は、歩行者・自転車専用の白鳥路(はくちょうろ)として、市民の散策路になっている。 百間堀は、広坂交差点と兼六園下交差点を結ぶ百間堀通り(百万石通りの一部)となっており、 明治44年幹線道路に転用された。これを渡るように兼六園から石川門にかかる石川橋は、この際鉄筋コンクリート橋として架橋されたもので、藩政期は百間堀と白鳥堀を分ける土橋であった。
 この他、城内には内堀が、城外には東西の内外計4本の惣構堀(そうがまえぼり)が掘られていた。惣構堀は後に用水路として転用されている部分が多い。
cf.
 現在、金沢城の第2期復元整備事業が進められている(事業期間:2006年-2014年)。
 2010年春の完成を目指す河北門の復元事業は、2007年11月に工事着工された。その他には、石川門の保存修理、橋爪門二の門の復元整備、いもり堀の段階復元などが計画されている。金沢城の中核をなす二の丸御殿の復元については、2007年9月19日の石川県議会において谷本知事が「絵図、文献資料の解読に一定期間が必要であり、現時点では復元は困難(要旨)」との考えを示したそうです。


地図(Mapion):金沢城:http://www.mapion.co.jp/c/f?grp=link&uc=1&scl=25000&icon=star,0,,,,&coco=36/33/39.798,136/39/44.723&nl=36/33/39.798&el=136/39/44.723&BT=%B6%E2%C2%F4%BE%EB&BL=%CC%E1%A4%EB&BU=http%3A%2F%2Fwww.be-yan.net%2Fi%2F&bid=Mtool

天守アルバム
トップ