【イソップ [Aesop; ?sop]】
「イソップ物語」の作者とされる伝説的な古代ギリシャの寓話作家。紀元前六世
紀前半頃の人。奴隷の身分であったという。
〔ギリシャ語名アイソポスの英語形〕
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【淮南子(えなんじ)】
中国の学者、劉安(りゆうあん)の尊称。
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【慧能(えのう)】
(638−713)中国、唐代の禅宗の僧。姓は盧(ろ)氏。禅宗第六祖。諡(
おくりな)は、六祖大師・大鑑禅師。五祖弘忍の下で修行し、その法を継いだ。当
時は同門の神秀の北宗禅が盛んであったが、数代で消滅し、慧能の南宗禅が後世に
伝わった。語録に「六祖檀経」がある。
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【王安石(おうあんせき)】
(1021−1086)中国、北宋の政治家。字(あざな)は介甫(かいほ)、
号は半山。神宗のとき宰相となり、新法を主唱し政治改革を断行したが、保守派の
反対により辞職。文人・学者としてもすぐれ、唐宋八大家の一人。詩文集「臨川集
」など。
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【王維(おうい)】
(701−761)〔生没年は(699−756)とも〕中国、盛唐の詩人・画
家。字(あざな)は摩詰(まきつ)。仏教に帰依し、詩仏と称され、また晩年の官
名により王右丞(おうゆうじよう)とも呼ばれる。詩風は陶淵明に似、自然を歌詠
した五言絶句にすぐれる。また、山水画を得意とし、後世、文人画(南宗画)の祖
とされる。詩文集「王右丞集」など。
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【王羲之(おうぎし)】
(307−365)中国、東晋(しん)の書家。字(あざな)は逸少。隷書をよ
くし、楷・行・草の三体を芸術的な書体に完成、書聖と称された。その書は日本に
は奈良時代に伝わり、上代様の成立に大きな影響を与えた。文章もよくし、「蘭亭
序」「十七帖」などを著す。子の王献之とともに「二王」と呼ばれる。真跡は伝存
しないが、模本や拓本が伝えられる。
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【王勃(おうぼつ)】
(647?−675?)中国、初唐の詩人。字(あざな)は子安。才気煥発(かん
ぱつ)で、詩文、特に五言絶句を得意とし、初唐の四傑に数えられる。詩文集「王
子安集」
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【王陽明(おうようめい)】
(1472−1528)中国、明代の儒学者。浙江省余姚(よよう)出身。名は
守仁、字(あざな)は伯安、諡(おくりな)は文成公。陽明は号。朱子学に満足せ
ず、心即理・知行合一(ちこうごういつ)・致良知を説き、陽明学を完成、実践倫
理への道を開いた。また、寧王宸濠(しんごう)の乱を平定するなど軍事的才能も
あった。著「王文成公全書」、語録「伝習録」がある。→陽明学
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【オゴタイ [gdei]】
(1186−1241)モンゴル帝国第二代皇帝(在位1229−1241)。
廟号(びようごう)は太宗。チンギス-ハンの第三子。金を滅ぼし、カラコルムに
首都を建設。ロシアを征服した。エゲディ。〔「窩闊台」とも書く〕
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【岳飛(がくひ)】
(1103−1141)中国、南宋の武将。字(あざな)は鵬挙。一兵卒より湖
北一帯を領する軍閥となる。金への抗戦を主張し和議派の宰相秦檜(しんかい)の
讒言(ざんげん)により獄死。岳王廟にまつられ、民族的英雄として尊崇される。
著「岳忠武王集」
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【葛洪(かっこう)】
(283−343頃)中国、東晋の道士。字(あざな)は稚川(ちせん)、号は
抱朴子(ほうぼくし)。栄利を望まず、神仙道を修行。晩年は羅浮山(らふざん)
に入り、錬丹と著述に専念。著「抱朴子」「神仙伝」
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【韓嬰(かんえい)】
中国の儒者
【顔淵(がんえん)】
⇒顔回(がんかい)
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【顔回(がんかい)】
(前514−前483)中国、春秋時代の魯(ろ)の学者。孔門十哲の第一。字
(あざな)は子淵(しえん)。貧家に生まれたが、学問を好み孔子に重んじられた
。早逝し、孔子を嘆かせた。顔淵。
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【管子(かんし)】
管仲(かんちゆう)の尊称。
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【韓信(かんしん)】
(?−前196)中国、前漢初の武将。蕭何(しようか)・張良とともに漢の三
傑の一人。項羽(こうう)に従ったが用いられず、劉邦(りゆうほう)に従い華北
を平定。漢の統一後、斉王から楚王に遷され、のち反逆の疑いで捕らわれ殺された
。
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【管仲(かんちゆう)】
(?−前645)中国、春秋時代斉の宰相。名は夷吾(いご)、仲は字(あざな
)。初め公子糾(きゆう)に仕えて、桓公(かんこう)と対立したが、のち鮑叔牙
(ほうしゆくが)の推挙で宰相となり、桓公を覇者たらしめた。「管子」はその著
という。
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【韓非(かんぴ)】
(?−前233)中国、戦国時代末の思想家。韓の公子として生まれ、荀子(じ
ゆんし)の性悪説を学んで法家思想を理論的に大成し、秦の始皇帝に大きな影響を
与えた。秦に使いした時、秦の宰相で同学の李斯(りし)の讒言(ざんげん)にあ
い、獄中で服毒自殺した。韓非子。
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【韓非子(かんぴし)】
韓非の尊称。
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【韓愈(かんゆ)】
(768−824)中国、中唐の儒者・文人。字(あざな)は退之、諡(おくり
な)は文公、昌黎(しようれい)と号。唐宋八大家の一。「文は道を載せる道具」
として四六駢儷(べんれい)体を排し、古文を提唱。詩をよくし、白居易と並び称
され、また儒学復古を唱えて、文章・学問とも後代に大きな影響を残した。詩文集
「昌黎先生集」「昌黎先生外集」
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【魏徴(ぎちょう)】
(580−643)中国、唐初の政治家。字(あざな)は玄成。玄武門の変後、
李世民(太宗)に仕え、諫臣として有名。南北朝・隋の正史編纂に関与。「述懐」
の詩は名高い。
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【尭(ぎょう)】
中国、古伝説上の聖王。暦を作り、治水に舜(しゆん)を起用し、のち位を彼に
譲った。舜とともに中国の理想的帝王とされ、尭舜と並び称される。唐尭。帝尭。
陶唐氏。
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【許渾(きょこん)】
中国、唐の詩人。字(あざな)は仲晦、一説に用晦。849年監察御史、のち刺
史。慷慨(こうがい)の情を懐古の詩に託した。詩集「丁卯(ていぼう)集」。生
没年未詳。
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【許由(きょゆう)】
中国、古伝説上の隠者。字(あざな)は武仲。聖帝尭(ぎよう)が自分に天下を
譲るという話を聞き、耳がけがれたといって潁川(えいせん)の水で耳を洗い、箕
山(きざん)に隠れたと伝えられる。
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【屈原(くつげん)】
(前343頃−前277頃)中国、戦国時代の楚(そ)の詩人。名は平、原は字
(あざな)。楚の王族出身。楚の国運回復に尽力したが、讒言(ざんげん)により
江南に放逐され、汨羅(べきら)の淵に投身。その憂憤・憂国の思いを吐露した「
離騒(りそう)」をはじめ「天問」「九歌」などの作品が「楚辞」に収録されてい
る。
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【鳩摩羅什(くまらじゅう)】
〔梵Kumrajva〕(344−413)中国六朝時代の仏典漢訳者。インド
人を父とする西域僧。国師として長安に迎えられ、竜樹の思想を紹介した。「中論
」「百論」「大智度論」「法華経」「阿弥陀経」「維摩経」「十誦律」などを漢訳
し、また、三論宗・成実宗の基礎を築いた。くもらじゅう。羅什。
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【玄宗(げんそう)】
(685−762)唐の第六代皇帝(在位712−756)。姓名は李隆基。睿
宗(えいそう)の第三子。韋后(いこう)を殺して父を復位させ、譲られて即位。
諸制度の改革を行い「開元の治」と称された。晩年は楊貴妃(ようきひ)に溺れて
安史の乱を招き、四川へ脱出。子の粛宗(しゆくそう)に譲位した。
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【胡寅(こいん)】
(1098−1156)南宋初期の中国の儒学者。字は明仲。致堂先生と称され
る。著名な儒学者・胡安国の弟の子。
【項羽(こうう)】
(前232−前202)秦末の武将。名は籍。楚の人。叔父項梁(こうりよう)
と挙兵し、劉邦とともに秦を滅ぼし楚王となったが、垓下(がいか)の戦いで劉邦
に敗れ、烏江で自殺した。虞美人(ぐびじん)はその寵姫(ちようき)。
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【孔子(こうし)】
(前551−前479)
〔呉音で「くじ」とも〕中国、春秋時代の魯(ろ)の思想家。儒教の祖。名は丘
、字(あざな)は仲尼(ちゆうじ)、諡(おくりな)は文宣王。昌平郷陬邑(すう
ゆう)(山東省曲阜(きよくふ)県)の生まれ。魯に仕えたがいれられず、諸国を
遊説したのち、門人の教育に専念。周公旦(しゆうこうたん)の政治と事績を理想
とし、仁と礼とを倫理的行為の根本におき、徳治政治を達成せんとした。その思想
は、言行を記録した「論語」にみられる。また、「書経」「詩経」「春秋」などを
整理・編纂したといわれる。
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【黄庭堅(こうていけん)】
(1045−1105)中国、北宋(ほくそう)の詩人・書家。字(あざな)は
魯直(ろちよく)、号は山谷(さんこく)道人。蘇軾(そしよく)に師事。その詩
風は江西(こうせい)体と呼ばれて詩壇を風靡(ふうび)。草書にもすぐれた。著
「山谷集」「?翁雑説」「杜詩箋」など。
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【高駢(こうべん)】
821ー887年。晩唐の官僚、詩人。字は千里。幽州(現在の河北件)の人。
【孔明(こうめい)】
諸葛亮(しよかつりよう)の字(あざな)。
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【呉起(ごき)】
(前???−前381)中国、戦国時代の政治家・兵法家。衛の人。現行の兵法
書「呉子」は後世の仮託説が有力。
cf.
【仮託(かたく)】
他の物にかこつけること。ことよせること。
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【呉子(ごし)】
呉起の尊称。
【伍子胥(ごししょ)】
(?−前485)中国、春秋時代の楚の人。名は員(うん)。父と兄が楚の平王
に殺されたため呉に奔(はし)り、呉を助けて楚を破り、平王の墓をあばいてその
屍(しかばね)に鞭(むち)打った。呉王夫差が越王勾践(こうせん)を会稽山に
破ったとき、勾践を殺すよう勧めて退けられ、のち讒言(ざんげん)により自殺。
−三省堂提供「大辞林第二版」−
cf.
【讒言(ざんげん)】
他人を陥れようとして、事実をまげ、いつわって悪(あ)しざまに告げ口をする
こと。
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【呉象之(ごしょうし)】
<(_ _)>
【司馬遷(しばせん)】
(前145?−?)中国、前漢の歴史家。字(あざな)は子長。官名により太史
公と称する。父司馬談の歴史編纂(へんさん)の大志を受け継ぐ。匈奴(きようど
)に降伏した李陵(りりよう)を弁護して武帝の怒りに触れ、宮刑に処せられたが
、修史の志を貫き、紀伝体の歴史書「史記」を完成。
【釈迦(しゃか)】
(1)紀元前七〜六世紀頃、ヒマラヤ山麓ネパールに居住していた部族。釈迦(2
)も釈迦族の出身。
(2)仏教の開祖。世界四聖の一人。姓はゴータマ、名はシッタルタ。中部ネパー
ルの釈迦族の中心地迦毘羅(かびら)城に浄飯王(じようぼんのう)の子と
して生まれる。母は摩耶夫人(まやぶにん)。二九歳で出家、三五歳で悟り
を得た。のち鹿野園(ろくやおん)で五人の修行者を教化し(仏教教団の成
立)、以後八〇歳で入滅(にゆうめつ)するまで教化の旅を続けた。教説は
四諦(したい)・八正道(はつしようどう)・十二縁起などでまとめられる
。生没年は紀元前463〜383年、同560〜480年など諸説ある。釈
迦牟尼(しやかむに)。釈尊。釈迦如来。
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【謝枋得(しゃぼうとく)】
(1226−1289)中国、南宋末の文学者。字(あざな)は君直。号は畳山
。南宋滅亡後、元朝に召されたが、拒んで餓死した。著「文章軌範」「畳山集」な
ど。
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【周敦頤(しゅうとんい)】
(1017−1073)中国、北宋の学者。字(あざな)は茂叔。濂渓(れんけ
い)先生と呼ばれた。仏教や道教を取り入れた儒教の宇宙論を作り、宋学(性理学
)の祖といわれる。著「太極図説」「通書」など。
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【周濂渓(しゅうれんけい)】
⇒周敦頤(しゆうとんい)
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【朱熹(しゅき)】
(1130−1200)中国、南宋の儒学者。字(あざな)は元晦(げんかい)
・仲晦。号は晦庵・晦翁。朱子・朱文公と尊称される。北宋の周敦頤(しゆうとん
い)・程(ていこう)・程頤(ていい)らの学説を総合して朱子学を大成した。死
後、朱子学が儒学の正統とされ、元代以降官学として採用されたため、四書尊重の
風など後世に大きな影響を及ぼした。主著「朱文公文集」「四書集注」「資治通鑑
綱目」「近思録」など。
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【朱元晦(しゅげんかい)】
朱熹のこと。
【朱子(しゅし)】
朱熹(しゆき)の尊称。
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【荀子(じゅんし)】
(前298−前238頃)中国、戦国時代、趙(ちよう)の思想家。名は況。荀
卿(けい)・孫卿とも尊称される。斉の襄(じよう)王や楚(そ)の春申君に仕え
た。孟子(もうし)の性善説に対して性悪説を唱え、またそれまでの諸子の学を大
成し、儒学を倫理学から政治学へ発展させた。
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【昭明太子(しょうめいたいし)】
(501−531)中国、南北朝時代の梁の武帝の長子。本名は蕭統(しようと
う)、字(あざな)は徳施、昭明は諡号(しごう)。詩文を好み、当時の代表的文
士を招き、古来の賦・詩・文の名作を集めて「文選」を編纂した。
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【諸葛亮(しょかつりょう)】
(181−234)中国、三国時代の蜀漢(しよつかん)の宰相。字(あざな)
は孔明。劉備に三顧の礼を受けて仕えたと伝えられ、天下三分の計を上申、劉備の
蜀漢建国を助ける。劉備死後、子の劉禅を補佐し、五丈原で魏(ぎ)軍と対陣中死
去。
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【沈既済(しんきせい)】
唐の作家。
【宋玉(そうぎょく)】
中国、戦国時代、楚(そ)の文人。楚王に仕え、のち落魄の生涯を送ったといわ
れるが、生没年・伝記ともに未詳。屈原の弟子で、「九弁」(「楚辞章句」所収)
「高唐賦」「神女賦」「対楚王問」などの作者とされる。
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【曹冏(そうけい)】
中国三国時代の魏の宗室で、文化人で、曹操の養祖父・曹騰の兄・曹淑向(字・
叔興)の玄孫に当たる。曹芳の代に親族の曹爽に対して、夏・殷・周・秦・漢・魏
の六代の王朝の長短を記した意見書を提出して、皇室曹氏の強化を提案したが、結
局は享け容れられなかった。学者としても有名で、著書に「六代論」などがある。
【荘子(そうし)】
中国、戦国時代の宋の思想家。名は周、字(あざな)は子休、追号は南華真人。
儒家の思想に反対し、独自の形而上学的世界を開いた。その思想は老子と合わせて
老荘思想と称され、後世まで大きな影響を与えた。生没年未詳。
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【曾子(そうし)】
曾参(そうしん)の敬称。
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【曹松(そうしゅう)】
(830−901)中国唐の官吏。字・夢徴(ぼうちょう)。舒州(じょしゅう
・現在の安徽省潜山)の人。早くより職を失い江湖(こうこ)に漂泊し、一生貧に
苦しんだが、最晩年、ようやく進士に及第する。
cf.
【進士(しんし)】〔「しんじ」とも〕
(1)中国で、科挙の科目の一。また、その合格者。宋以後では、殿試に合格した
者の特称。
(2)律令制で、式部省が課した官吏登用試験の一。時務策(じむさく)および文
選(もんぜん)・爾雅(じが)について試験した。しじ。
(3)文章生(もんじようしよう)のこと。
【及第(きゅうだい)】
試験に合格すること。
【科挙(かきょ)】
中国、隋初から実施された高等官資格試験制度。唐代では秀才・明経・進士など
の六科(りくか)から成り、科ごとに古典的教養・文才・政論などを試験した。宋
代には進士科のみとなり、試験も解試・省試・殿試の三段階となり、明・清代は郷
試・会試・殿試として行われ、過当な競争を生むなどの弊害を生じた。清末の19
05年廃止。
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【宋襄(そうじょう)】
中国、春秋時代の宋の王、襄公。
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【曾参(そうしん)】
(前505−前435?)中国、春秋時代の思想家。字(あざな)は子輿。孔子
の弟子。孝行で知られ、「孝経」を著したという。曾子。
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【則天武后(そくてんぶこう)】
(624−705)中国、唐の高宗の皇后。姓は武。諡(おくりな)は則天大聖
皇后。高宗の死後、中宗・睿宗(えいそう)を廃位させ、690年、国号を周(武
周690−705)と改め帝位につく。独裁政治を行なったが、人材を登用し治政
に努めた。武后。武則天。
−三省堂提供「大辞林第二版」−
【蘇軾(そしょく)】
(1036−1101)中国、北宋の詩人・文学者。字(あざな)は子瞻(しせ
ん)、号は東坡(とうば)。父の蘇洵(そじゆん)、弟の蘇轍(そてつ)と合わせ
て三蘇と呼ばれる。王安石の新法に反対し、しばしば左遷された。黄州(湖北省)
に左遷されたときに詠じた「赤壁賦」はその代表作。多才で、散文・韻文ともにす
ぐれ、散文では唐宋八大家の一人に数えられ、詩も宋代詩人中第一に位した。著作
集「東坡全集」
−三省堂提供「大辞林第二版」−
【蘇武(そぶ)】
(?−前60)中国、前漢の名臣。字(あざな)は子卿。匈奴(きようど)に使
いして捕らえられ帰順をすすめられたが、節を曲げず、19年間北海のほとりの無
人の地で牧者として暮らす。のち、漢と匈奴との和議が調って帰国した。
−三省堂提供「大辞林第二版」−
【孫子(そんし)】
孫武(そんぶ)の尊称。
−三省堂提供「大辞林第二版」−
【孫武(そんぶ)】
中国、春秋時代の兵法家。斉の人。呉王闔閭(こうりよ)に仕え、楚(そ)を破
り、斉・晋(しん)を脅かして、呉王を覇者とするのに功があった。生没年未詳。
→孫子
−三省堂提供「大辞林第二版」−
【孫文(そんぶん)】
(1866−1925)中国革命の指導者。字(あざな)は逸仙(いつせん)。
号は中山。広東省出身。清朝打倒のため、1894年興中会を組織。1905年、
東京で中国革命同盟会を結成して、三民主義を主唱した。辛亥(しんがい)革命の
際、臨時大総統に就任したが、まもなく袁世凱(えんせいがい)に譲った。のち中
国国民党を創設し革命の完成をめざしたが、その中途にて病死した。スン=ウェン
。
−三省堂提供「大辞林第二版」−
【ダライ・ラマ14世】
尊称:クンドゥンギャルワ・リンポチェ
(1935年7月6日(チベット暦5月6日)− 、在位1940年− )は、
第14代のダライ・ラマ。法名をテンジン・ギャツォ(チベット文字:?????
?????????????ワイリー方式:Bstan−’dzin Rayo
−mtsho)と言う。チベット仏教のゲルク派の最高位の仏教博士号(ゲシェ・
ラランパ)を持つ僧侶であり、チベット仏教の全宗派の伝統の教えを継承し研鑚を
積んでおり、教え・実践両面のすべての領域における最高の権威者(チューキ・ゲ
ーポ;法王)として広く認められている。チベット亡命政府の指導者でもある。
−フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』−
(2008年6月17日)
cf.
【ダライラマ】[Dalai Lama]
〔ダライはモンゴル語で海、ラマはチベット語で師の意〕チベットの宗教・政治
上の最高支配者の称号。黄帽派ラマ教の教主。この称号は一六世紀に確立し、教主
は禅定菩薩の化身である最高の活仏とされ、政治をも掌握した。〔「達頼喇嘛」と
も書く〕
−三省堂提供「大辞林第二版」−
【竹林の七賢(ちくりんのしちけん)】
〔晋書(康伝)〕中国晋代に、世俗を避け、竹林で琴と酒を楽しみ、清談にふけ
ったとされる七人。阮籍(げんせき)・康(けいこう)・山濤(さんとう)・向秀
(しようしゆう)・劉伶(りゆうれい)・阮咸(げんかん)・王戎(おうじゆう)
をいう。
−三省堂提供「大辞林第二版」−
【チンギスハン [Chinggis Khan]】
(1167−1227)モンゴル帝国の創始者(在位1206−1227)。廟
号は太祖。幼名、鉄木真(テムジン)。モンゴルを統一し、1206年ハンの位に
つく。氏族共同体を解体、ハンのもとに統轄された遊牧領主制を確立。西夏を服属
させ、15年金に侵入。19年以降西征を行いホラズム・南ロシアを征服。のち西
夏を再征したが、陝西省で病没。ジンギス汗(かん)。〔「成吉思汗」とも書く〕
−三省堂提供「大辞林第二版」−
【陳寔(ちんしょく)】
(104−187)中国、後漢の地方官。徳治をもって政を行い、士大夫の手本
とされる。子弟に「梁上(りようじよう)の君子を見よ」と訓戒して梁(はり)の
上に潜んでいた泥棒を悔悟させた逸話で知られる。
−三省堂提供「大辞林第二版」−
【陳亮(ちんりょう)】
[1143〜1194]中国、南宋の思想家・文学者。永康(浙江(せっこう)
省)の人。字(あざな)は同甫(どうほ)。号、竜川(りゅうせん)。孝宗のとき
、金との和議に反対する「中興論」を上奏したが採用されず、帰郷。経世済民のた
めの学を主唱して朱熹(しゅき)と議論を交えた。著「竜川文集」「竜川詞」。
−大辞泉−
【程頤(ていい)】
(1033−1107)中国、北宋の儒学者。号は伊川(いせん)。周敦頤(し
ゆうとんい)に学び、六経に精通し理気二元論を立て、朱熹(しゆき)に大きな影
響を与えた。兄の程(ていこう)とともに二程子といわれる。著「易伝」「伊川先
生文集」など。
−三省堂提供「大辞林第二版」−
【程伊川(ていいせん)】
⇒程頤(ていい)
−三省堂提供「大辞林第二版」−
【鄭谷(ていこく)】
唐末から宋初の頃の詩人?・・・
詳しいことは不明。m(_ _)mゴメン
【程子(ていし)】
中国、宋の儒学者、程(ていこう)・程頤(ていい)兄弟。
−三省堂提供「大辞林第二版」−
【陶淵明(とうえんめい)】
(365−427)中国、東晋・宋の詩人。名は潜、字(あざな)は元亮・淵明
。五柳先生と号した。役人生活の束縛を嫌って彭沢県県令を最後に「帰去来辞」を
賦して辞任し、以後、故郷に帰って酒と菊を愛し、自適の生活を送った。その詩文
は、平淡で自然な表現を特徴とし、古来日本でも愛好された。散文「五柳先生伝」
「桃花源記」など。
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【杜荀鶴(とじゅんかく)】
〔846〜904(907?)〕。中国、晩唐の詩人。字は彦之、号は九華山人
。池州石台の人。杜牧の庶子といわれる。大順2年(891)、進士に及第。朱全
忠に仕えて、翰林学士・主客員外郎・知制誥などを歴任。権勢に驕って人を見下し
たので命を狙われたこともあったという。しかし、その詩は精緻で韻律に忠実であ
り、また、弦楽にも巧みだった。
【杜甫(とほ)】
(712−770)中国、盛唐の詩人。字(あざな)は子美、号は少陵。官名に
より杜工部・杜拾遺とも呼ばれる。若い頃、科挙に落第し各地を放浪し、李白らと
親交を結ぶ。四〇歳を過ぎて仕官したが、左遷されたため官を捨て、以後家族を連
れて甘粛・四川を放浪し、湖南で病没。国を憂い、民の苦しみを詠じた多数の名詩
を残し、後世、詩聖と称され、李白とともに中国の代表的詩人とされる。詩文集「
杜工部集」
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【二十四孝(にじゅうしこう)】
中国で、古く親孝行であったという二四人。虞舜、漢の文帝、曾参・閔損・仲由
・董永・子・江革・陸績・唐夫人・呉猛・王祥・郭巨・楊香・朱寿昌・黔婁・老莱
子・蔡順・黄香・姜詩・王褒・丁蘭・孟宗・黄庭堅。異説もあるが、日本の御伽草
子や浄瑠璃の素材となった。
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【白居易(はくきょい)】
(772−846)中国、中唐の詩人。号は香山居士また酔吟先生、字(あざな
)は楽天。官吏の職にあったが、高級官僚の権力闘争にいや気がさし、晩年は詩と
酒と琴を三友とする生活を送った。その詩は平易明快で、「長恨歌(ちようごんか
)」「琵琶行」などは広く民衆に愛され、日本にも早くから伝わって、平安朝文学
などに大きな影響を与えた。「秦中吟」「新楽府(しんがふ)」など、社会や政治
の腐敗を批判した社会詩もある。詩文集「白氏文集」
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【馬謖(ばしょく)】
(190−228)中国、三国時代の蜀(しよく)の武将。字(あざな)は幼常
。雲南討伐に活躍、諸葛亮(しよかつりよう)の信任をうけ参軍となる。街亭の戦
いで命令に背いて戦略を誤り魏軍に大敗したため、軍律により亮は泣いて馬謖を斬
ったという。
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【潘岳(はんがく)】
(247−300)中国、晋の詩人。陸機と並び称され、妻の死を悼んだ「悼亡
詩」で知られる。美男の代名詞ともされる。讒言(ざんげん)により刑死。
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cf.
【讒言(ざげん)】
他人を陥れようとして、事実をまげ、いつわって悪(あ)しざまに告げ口をする
こと。
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【百丈懐海(ひゃくじょうえかい)】
(720?−814)中国唐代の禅僧。馬祖道一の法を継ぐ。江西省百丈山に禅
院を設立。僧団の規則「百丈清規(しんぎ)」を定め、寺院の自給自足体制をしい
た。門下に黄檗希運・山霊祐(いさんれいゆう)などがいる。
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【抱朴子(ほうぼくし)】
中国、晋代の道家、葛洪(かつこう)の号。
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【墨子(ぼくし)】
中国、戦国時代の魯(宋または楚とも)の思想家。墨家の始祖。墨は姓、名は(
てき)。工匠の子といわれる。儒家に学んだが、のちに儒家の仁を差別愛であると
して、無差別的博愛の兼愛を説き、平和論を唱え、儒家と並び称せられるほどの勢
力の学派を立てた。生没年未詳。
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cf.
【墨家(ぼっか)】
中国、戦国時代の諸子百家の一。墨子を祖とする学派。儒家の説く礼楽をしりぞ
け、兼愛(無差別の愛)・交利(相互扶助)を唱え、勤倹節約を重んじた。
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【無門関(むもんかん)】
禅書。一巻。1228年、宋の臨済宗の僧、無門慧開著。古人の公案四八則を選
び、これに評唱と頌(じゆ)を加えたもの。禅宗無門関。
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【孟浩然(もうこぜん)】
(689−740)〔「もうこうねん」とも〕中国、盛唐の詩人。名は浩。浩然
は字(あざな)。襄陽(じようよう)の人なので孟襄陽ともいう。自然の風物を歌
って王維と並称される。詩「春暁」は最も有名。
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【孟子(もうし)】
(前372−前289)中国、戦国時代の魯の思想家。名は軻(か)、字(あざ
な)は子輿(しよ)・子車。孔子の思想を継承し祖述して「孟子」を残す。諸国を
遊説したがいれられず、故郷の鄒(すう)(山東省)で門人の教育にあたった。仁
や孝悌を重んずるとともに性善説に基づいた王道政治を説き、富国強兵は覇道であ
るとして反対した。後世、「孔孟」と並称される。
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【耶律楚材(やりつそざい)】
(1190−1244)モンゴル帝国初期の功臣。字(あざな)は晋卿、諡(お
くりな)は文正。遼(りよう)の王族の子孫で、初め金に仕えたが、チンギス・ハ
ンに重用され、オゴタイ・ハンの宰相となり、帝国財政の基盤を確立。著「湛然(
たんぜん)居士集」
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cf.
【功臣(こうしん)】
功労のあった家臣。
【宰相(さいしょう)】
(1)首相。総理大臣。
(2)昔、中国で、天子を補佐して政務を処理する最高の官。丞相(じようしよう
)。
(3)参議の唐名。相公(しようこう)。
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【毛沢東(もうたくとう)】
(1893−1976)中国の政治家。湖南省出身。1921年中国共産党創立
に参加、農民運動を指導。朱徳とともに紅軍を組織、31年江西省瑞金において中
華ソビエト共和国臨時政府を樹立。34年長征を開始、革命根拠地を陝西省に移動
。国共合作を提唱、民族統一戦線を指導、日中戦争に勝利。国民党政府との内戦に
勝ち、49年中華人民共和国を建国。国家主席・党主席を歴任、58年大躍進政策
、66年からは文化大革命を提起した。著「新民主主義論」「実践論」「矛盾論」
。マオ=ツォトン。
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【楊貴妃(ようきひ)】
(719−756)中国、唐の玄宗の妃。才色すぐれ歌舞をよくし、初め玄宗の
皇子の妃となったが、玄宗の寵愛(ちようあい)をうけて第二夫人の貴妃とされた
。楊氏一族もみな高位にのぼった。安禄山の乱を逃れる途上、官兵に縊死させられ
た。白居易(はくきょい)の「長恨歌(ちようごんか)」をはじめ多くの詩や小説
の題材となった
。
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【頼山陽(らいさんよう)】
(1780−1832)江戸後期の儒学者・歴史家・漢詩人・書家。名は襄(の
ぼる)、通称は久太郎、別号を三十六峰外史。春水の長男。江戸に出て尾藤二洲に
学ぶも、性豪放にして遊蕩に日を送り、自邸内に監禁。のち上京して書斎「山紫水
明処」を営み、各地を遊歴、文人墨客と交わり、すぐれた詩文や書を遺した。その
著「日本外史」は幕末期における歴史観に大きな影響を与えた。他に著「日本政記
」「日本楽府」「山陽詩鈔」など。
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【駱賓王(らくひんおう)】
中国、初唐の詩人。則天武后に対して李敬業らと反乱を起こして失敗し、行方不
明となる。初唐詩人の四傑の一人で、七言古詩の長編「帝京編」は特に有名。著作
「駱賓王集」。生没年未詳。
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【陸機(りくき)】
(261−303)中国、晋(しん)の詩人。呉の人。字(あざな)は七衡。文
学論「文賦(ぶんのふ)」で唯美主義を唱え、対句などの修辞に優れた詩を残す。
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【陸游(りくゆう)】
(1125−1210)中国、南宋の詩人。字(あざな)は務観、号は放翁。北
方の女真族王朝金に対して熱烈な抗戦論を唱えた憂国詩人であるとともに、自然や
田園生活をこまやかな愛情をもってうたった田園詩人でもあった。南宋最大の詩人
と称される。詩は「剣南詩稿」に、散文は「渭南(いなん)文集」に収められてい
る。
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【李紳(りしん)】
〔780(建中元)年−846(會昌六)年〕中唐の詩人。字は公垂。無錫(む
しゃく)の人。
cf.
【無錫(むしゃく)】
中国、江蘇省の太湖北岸にある都市。水運の要地。養蚕業・紡績業が盛ん。ウー
シー。
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【李白(りはく)】
(701−762)中国、盛唐の詩人。字(あざな)は太白、号は青蓮居士。謫
仙人(たくせんにん)、官名により李翰林(りかんりん)とも。詩聖杜甫(とほ)
に対し、詩仙と称せられる。唐文化の爛熟(らんじゆく)期に生まれ、不遇なうち
にも酒と女を愛して飄逸(ひよういつ)豪放に生き、その詩は天衣無縫の神品とさ
れる。一説に酒に酔って水中の月を捕らえようとして溺死(できし)したという。
詩文集「李太白集」がある。
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【李泌(りひつ)】
唐の作家。
【李百薬(りひゃくやく)】
(565年−648年)は、唐の歴史家。字は重規、本貫は定州安平(今の河北
省安平)。
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【李密(りみつ)】
李密(りみつ、224年−287年)は字を令伯と言い、蜀・西晋に仕えた政治
家である。
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【劉安(りゅうあん)】
(前178頃−前122)中国、前漢の学者。漢の高祖の孫。淮南王(わいなん
おう)に封ぜられ、「淮南子(えなんじ)」を撰し、武帝から尊重されたが、のち
に謀反が発覚し自殺した。
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【劉義慶(りゅうぎけい)】
(403−444)中国、南北朝時代の宋の文人。宋の初代皇帝武帝の弟の子と
して臨川王を継ぎ、広く文学の士を招いて「世説新語」を編んだ。
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【劉向(りゆうきよう)】
〔「りゅうこう」「りゅうしゅう」とも〕(前79−前8)中国、前漢の学者。
字(あざな)は子政。秦の焚書(ふんしよ)以来、混乱していた宮中の図書の整理
校訂を行い、目録解題を作った。死後、息子の劉(りゆうきん)がこの事業を継承
。著「列女伝」「列仙伝」「新序」「説苑(ぜいえん)」「洪範五行論」
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【劉禅(りゅうぜん)】
(207−271)中国、三国時代、蜀(蜀漢)の第二代皇帝(在位:223−
263)。字は公嗣、幼名は阿斗。諡は思公。劉淵による諡は孝懷皇帝。
【劉備(りゅうび)】
(161−223)中国、三国の蜀漢(しよつかん)の初代皇帝(在位221−
223)。字(あざな)は玄徳、諡(おくりな)は昭烈皇帝、河北の人。前漢景帝
の子孫。関羽・張飛らとともに黄巾の乱鎮圧に尽力。諸葛亮(しよかつりよう)の
天下三分の計により、呉の孫権と結んで魏(ぎ)の曹操を赤壁で破り、蜀を平定。
221年成都で帝位につき国号を漢と号し、諸葛亮を丞相(じようしよう)とし呉
・魏と天下を争った。
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【劉伶(りゅうれい)】
中国、西晋(しん)の思想家。字(あざな)は伯倫。竹林の七賢の一人。酒を好
み、「酒徳頌」を著した。建威参軍となる。生没年未詳。
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【呂祖謙(りょそけん)】
(1137−1181)中国、南宋の学者。字(あざな)は伯恭、号は東莱。朱
熹(しゆき)との共著「近思録」のほか、「東莱文集」などの著作がある。
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【林嵩(りんすう)】
<(_ _)>
【列子(れっし)】
中国、戦国時代の思想家。名は禦寇(ぎよこう)。老子よりあと、荘子より前の
時代の道家というが、伝記・生没年とも未詳。唐の玄宗から沖虚真人と追号された
。
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【老子(ろうし)】
中国、春秋戦国時代の楚(そ)の思想家。周に仕えて守蔵室(図書館)の史にな
ったといわれる。道家の開祖。姓は李(り)、名は耳(じ)、字(あざな)は伯陽
、諡(おくりな)は(たん)。儒家の人為的な仁義道徳思想に対し、宇宙の根本を
道や無と名づけ、これに適合する無為自然への復帰を人間のあるべき姿と説く。後
漢末に道教が成立すると、その開祖と仰がれ、唐の高宗からは玄元皇帝の尊号を贈
られた。生没年未詳。
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【淮陰侯(わいいんこう)】
淮陰侯とは韓信(かんしん)のこと。
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