|
日本での記録
|
|
|
日付
|
概要
|
|
皆既日食
|
628年4月10日 (推古天皇36年3月2日)
|
日本で記録に残っている最古の日食。『日本書紀』の推古36年3月の条に、「三月丁未朔、戊申日有蝕尽之」(三月、丁未の朔にして戊申に、日、蝕え尽きたること有り)と日食が推古天皇36年3月2日(628年4月10日)にあったことが記録されている。部分日食だったとされているが、皆既日食だったとする説もある。
|
975年8月10日 (天延3年7月1日)
|
『日本紀略』に「天延三年七月一日辛未、(中略)、卯辰刻皆虧、如墨色無光、群鳥飛亂、衆星盡見、詔書大赦天下、(以下略)」(天延三年七月一日辛未(975年8月10日)、卯辰の刻に皆虧(午前七時に皆既)、墨色のごとくにて光なし、鳥が群がって乱れ飛び、多くの星が見え、天下に大赦を発布す)と書かれており、皆既日食があったことが記録されている。中国地方から関東地方にかけて見られ、時の政府は天下に大赦を発布している。この時の天文博士は安倍晴明だった。
|
|
1963年7月21日
|
早朝、北海道の富良野から知床半島にかけて観測された。網走では、35秒間の皆既日食が見られた。
|
|
1988年3月18日
|
日本で観測できた20世紀最後の皆既日食。小笠原諸島の硫黄島東方沖海上で、数台の大型船の甲板上によって観測された。この年以降、海外への日食ツアーが認知され参加者も増えるようになった。
|
|
2009年7月22日
|
インド、中華人民共和国南部、琉球列島、西太平洋にかけての地域で皆既日食が観測された。詳細は2009年7月22日の日食を参照
|
|
金環日食
|
1183年11月24日 (寿永2年閏10月1日)
|
平家物語や源平盛衰記に記されている水島の合戦のさなかに起こった日食。食分は95%程度とされる。天文博士を擁する朝廷側の平家はこの日、日食が起こることを知っていて太陽が欠けていくことに恐れ混乱する木曽源氏に対して戦いを有利に進め平家が勝利した。以下は、源平盛衰記の記述。
「寿永二年閏十月一日(1183年11月24日)、水島にて源氏と平家と合戦を企つ。城の中より 勝ち鼓をうってののしりかかるほどに、天俄(にわか)に曇て、日の光もみえず、闇の夜のごとくなりたれば、源氏の軍兵ども日蝕とは知らず、いとど東西を失いて、舟を退いていずちともなく風にしたがいてのがれゆく。平氏の兵(つわもの)どもはかねて知りにければ、いよいよ時(の声)をつくりて、重ねて攻め戦う。」
|
|
1987年9月23日
|
沖縄本島をすっぽり覆い隠すように金環帯が通過。沖縄の本部町では金環帯の中心線が通過したので、真円での金環日食が観測された。
|