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− 日 食 −
日食
Total Solar Eclipse of 2009 July 22

日食 I 種類 I 神話に登場する日食 I 日本での記録 I 今後見られる日食

【 日食 (元の用字は「日蝕」・ solar eclipse) 】
 太陽が月によって覆われる現象である。

 太陽は黄道を1年で1周し、月は
白道を約1か月で1周する。
 もし黄道と
白道とが一致していれば朔には必ず日食が、望には必ず月食が起こる
ことになる。しかし実際には黄道と
白道とは約5度の傾きでずれているため、日食
や月食が起こるのは太陽・月が黄道・
白道の交わる点(月の昇交点・降交点)付近
にいる時に限られる。
 太陽が交点付近にいる期間を食の季節と言い、食はこの期間以外には起こらない

 食の季節は通常は年2回だが、3回ある年もある。これは交点が太陽の動く方向
と逆向きに動いているためであり、その周期は約19年である。食の季節には日食
が少なくとも1回、多い時には2回起こる。よって日食は年に2−4回は起きるこ
とになり、まれには5回起こる(1935)。逆に、食の季節であっても月食は起
きないこともある。
 しかし日食は月の影に入った地域でしか観測できないため、地球全体で見れば日
食は頻繁に起きていてもある地域に限定すると日食が観測されるのは少ないことに
なる。月食は月食が発生している時に月が見えていれば必ず観測できるので、一般
には月食の方が頻繁に起きていると認識されていることが多い。
 ある日食から18年と10日(閏年の配置によっては11日)と8時間たつと、
経度にして120度西の地点でよく似たタイプの日食が起こることが知られている
。この周期は「
サロス周期」と呼ばれ、紀元前から日食の予想に使われていたとい
われている。
cf.
【朔 (さく) 】
 月と太陽の視黄経が等しくなること、また、その時刻のことである。現代的な定
義での新月(しんげつ)と同義である。
 地球から見て月と太陽が同じ方向となり、月から反射した太陽光が地球にほとん
ど届かないことと、強い太陽光の影響とで地上からは月が見えない。黄道と
白道
極めて近いか重なる地点(月の交点)で朔となった場合に食である日食が起こる。
日食時にのみ、新月の輪郭を見ることができる。
【満月 (まんげつ) or 望 (ぼう) 】
 月と太陽の黄経差が180度となること、あるいはその瞬間。これを望(ぼう)
ともいう。またこの時に見られる月の形をも指す。これを望月(ぼうげつ・もちづ
き)、盈月(えいげつ)ともいう。月齢15日目の十五夜(満月)は、ほぼ日没と
ともに東の空に昇り、明け方には西の空に沈むが、これ以降は月の出がおよそ50
分ずつ遅くなる(つまり、新月では、太陽と同じく朝出てきて、夕方には沈む)。
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種 類
種別 概要
皆既日食
(total eclipse)
 月の地球周回軌道および地球の公転軌道は楕円であるため、地上から見た太陽と月の視直径は常に変化する。月の視直径が太陽より大きく、太陽の全体が隠される場合を皆既日食(total eclipse)という。
金環日食 or 金環食
(amular eclipsw)
 月の外側に太陽がはみ出して細い光輪状に見え、これを金環日食(または金環食。amnular eclipse)と言う。
中心食  皆既日食と金環日食、および後述の金環皆既日食を中心食と称する。
 中心食では本影と金環食影が地球上に落ちて西から東に移動しその範囲内で中心食が見られ、そこから外れた地域では半影に入り太陽が部分的に隠される部分日食が見られる。半影だけが地球にかかって、地上のどこからも部分食しか見られないこともある。
金環皆既日食  場合によっては月と太陽の視直径が食の経路の途中でまったく同じになるため正午に中心食となる付近で皆既日食、経路の両端では金環日食になることがありこれを金環皆既日食(hybrid eclipse)と呼ぶが、頻度は少ない。
日出帯食  日の出の際に太陽が欠けた状態で上る場合を特に日出帯食。
 食の最大を迎える前に分類される。
日没帯食  欠けた状態で日の入りを迎える場合を日没帯食と呼ぶ。
 食の最大を過ぎた後に分類される。
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神話に登場する日食
 近代天文学が確立する以前、多くの文明で日食や月食を説明する神話が長い間語
り継がれてきた。これらの神話の多くでは、日月食は複数の神秘的な力の間の対立
や争いによって起こるとされた。例えばヒンドゥー教の神話では食が起こる月の昇
交点がラーフ(Rahu)、降交点がケートゥ(Ketu)という2人の魔神とし
て擬人化されこの二神の働きによって食が起こると考えられた。この二神が象徴す
る二交点は後に古代中国で羅_星・計斗星の名で
七曜に付け加えられ、九曜の一員
を成している。
 また北京天文台には日食神話を描いた石の彫刻があり、以下のような説明が添え
られている。

「この彫刻の絵は日食の原因を説明している。金烏(太陽の象徴)の中心がヒキ
 ガエル(月の象徴)によって隠されている。漢時代の人々はこの現象を太陽と
 月の良い組み合わせと呼んでいた。」

 ここで金烏とは金色(太陽)の中にいるという三本足の烏(
八咫烏を参照のこと
)であり、ヒキガエルは月のクレーターの形に由来するものである。この解説文か
らは、当時の文化において天文現象としての事実の認識と現象に対する愉快な見立
てとが両立していたことが窺える。

 
ヴァイキングたちの伝承を記した『スノッリのエッダ』ではスコルと呼ばれる狼
が太陽を常に追いかけており、狼が太陽に追いつくと日食になるという記述がある
。そして、世界の終わりの日に狼はついに太陽を完全に飲み込んでしまうという。

 他の文化圏では日月食は驚くべき、かつ恐ろしい現象とする場合も多かった。

リストファー・コロンブス
西インド諸島に航海した際、服従の意思を示さない原
住民を罰するために日食を起こしてみせて(実際は日食の起こる日を知っていただ
け)、パニックになった原住民が彼に服従したというエピソードは有名であるが、
文献上の証拠は怪しい。

 現在のところ過去の特定の日食現象には同定されていない。計算上は、
邪馬台国
の時期に日本列島で日食が2回起きた可能性がある。
卑弥呼が死んだとされる24
7年と248年である。国立天文台の谷川清隆・相馬充らは、「特定された日食は
日本書紀推古天皇36年3月2日(628年4月10日)が最古であり、それ
より以前は途中の文献がないため地球の自転速度低下により特定できない」として
いる。
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日本での記録
  日付 概要
皆既日食 628年4月10日
(
推古天皇36年3月2日)
 日本で記録に残っている最古の日食。『日本書紀』の推古36年3月の条に、「三月丁未朔、戊申日有蝕尽之」(三月、丁未の朔にして戊申に、日、蝕え尽きたること有り)と日食が推古天皇36年3月2日(628年4月10日)にあったことが記録されている。部分日食だったとされているが、皆既日食だったとする説もある。
975年8月10日
(天延3年7月1日)
 『日本紀略』に「天延三年七月一日辛未、(中略)、卯辰刻皆虧、如墨色無光、群鳥飛亂、衆星盡見、詔書大赦天下、(以下略)」(天延三年七月一日辛未(975年8月10日)、卯辰の刻に皆虧(午前七時に皆既)、墨色のごとくにて光なし、鳥が群がって乱れ飛び、多くの星が見え、天下に大赦を発布す)と書かれており、皆既日食があったことが記録されている。中国地方から関東地方にかけて見られ、時の政府は天下に大赦を発布している。この時の天文博士は安倍晴明だった。
1963年7月21日  早朝、北海道の富良野から知床半島にかけて観測された。網走では、35秒間の皆既日食が見られた。
1988年3月18日  日本で観測できた20世紀最後の皆既日食。小笠原諸島の硫黄島東方沖海上で、数台の大型船の甲板上によって観測された。この年以降、海外への日食ツアーが認知され参加者も増えるようになった。
2009年7月22日  インド、中華人民共和国南部、琉球列島、西太平洋にかけての地域で皆既日食が観測された。詳細は2009年7月22日の日食を参照
金環日食 1183年11月24日
(寿永2年閏10月1日)
 平家物語源平盛衰記に記されている水島の合戦のさなかに起こった日食。食分は95%程度とされる。天文博士を擁する朝廷側の平家はこの日、日食が起こることを知っていて太陽が欠けていくことに恐れ混乱する木曽源氏に対して戦いを有利に進め平家が勝利した。以下は、源平盛衰記の記述。

「寿永二年閏十月一日(1183年11月24日)、水島にて源氏と平家と合戦を企つ。城の中より 勝ち鼓をうってののしりかかるほどに、天俄(にわか)に曇て、日の光もみえず、闇の夜のごとくなりたれば、源氏の軍兵ども日蝕とは知らず、いとど東西を失いて、舟を退いていずちともなく風にしたがいてのがれゆく。平氏の兵(つわもの)どもはかねて知りにければ、いよいよ時(の声)をつくりて、重ねて攻め戦う。」
1987年9月23日  沖縄本島をすっぽり覆い隠すように金環帯が通過。沖縄の本部町では金環帯の中心線が通過したので、真円での金環日食が観測された。
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今後見られる日食
 2100年までのものについて挙げる。データはNASAのものに基づく。
 日時は原データでは
UTCだが日本時間を用いた。


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